為替とは

為替について淡々と書くと見せかけ色々書いていく姿勢

俺もう24歳だし資本主義について学生・社会人という観点から今一度よく考えてみて自論をまとめてみた

ここ2年程マイブームであるテーマ。

 

資本主義。

 

よく聞く言葉だし一体何のなのかと漠然と思いながら生きていきた。

 

転機は2015年。

 

就職を控え正体不明の絶望に目の前が覆われていたあの頃だ。

 

それまで「学生」というレールの上をただ歩いていれば良かっただけの人生が終わりを告げようとしていた。

別に何かをしても良いし何もしなくても良かったあの時期が終わるというのが堪らなく嫌であった。

 

誰だって働きたくない。

楽して稼げるならそれに越したことはない。

一生学生で居れればどれほど楽しい人生であろうか。

 

 

逃れられない「現実」がようやく「就職」というイベントを機に間近に迫って来た。

 

 

まず不安を解消するために俺が取った行動はその漠然とした絶望感を消すために対象を深く知ろうとすることであった。

この判断は今思っても大正解であったと胸を張って言える。

 

漠然とした絶望感の正体は経験したことのない「社会」に対するものであった。

しかし「社会」と言われてもピンとこない。

そのことについて結局学生時代に分かることはなかった。

今でも理解しているとは言えないかもしれないが何となくは分かってきたつもりである。

 

 

話は戻り学生時代、ありがたいことに俺は自分のことだけに集中出来る環境にいた。

いくらでも自分の自意識と向き合うことが出来たしそれは「楽」な作業ではなかったがとても「楽しい」作業であった。

 

一生これが続けば良いなと思っていた。

いかに恵めれている職場環境であろうと自分の時間を全て自分の思うように使えることより良いことなんてないだろうと思っていた。

 

 

今でもそれは変わらない。

この後も何度も言うが誰も嫌々働きたいなんて思わない。

自分の時間を嫌なことに提供するのが好きなドMがこの世にいるのならば会ってみたい。

 

 

「好き」を仕事に。という言葉にすがりたくもなる。

それは積み重ねてきた人間のごく一部が叶えられる夢であることにも気付かず俺も例に洩れなく必死に探し続けた。

探してしばらくしてそれが無駄であることに気付くのに時間はかからなかった。

問題は「そこ」ではない。

 

 

多くのプロ野球選手は野球を楽しくないと言う。

念願の夢を叶えプロ野球選手になった途端「野球」が「仕事」に変わる。

当然「仕事」として結果を出すためにやらなければいけないことが山ほど付随してくる。

それでも結果が出るとは限らない。

と言うより望んでいた結果が出る確率の方が低い。

野球選手の平均選手寿命は29歳である。

 

勿論、プロの世界に入る程の実力の持ち主である。

そこらの人間に比べれば遥かにスイングスピードも早く、肩の力も鬼の様に強く強靭な肉体と運動能力を持ち合わせているのだ。

 

それでも彼らは特別になれない。

幼少期より誰より努力してきたであろう彼らですら「特別」にはならないのである。

大半はその後「普通」に働かなければならない。

現実は厳しい。

 

 

 

本題である。

ぼんやりとして目に見えなかった「社会」及びその裏に隠れている資本主義の存在に徐々に気付き始める。

 

 

学生から社会人になると言うのはズバリこれであると思っている。

このことに対する経験を伴った「気付き」

 

思い当たる節がある人もいると思うが特別だと思っていた自分が(俺の場合はそうだった)何者でもない、何も持たないただの若者であると言うことを日々実感することとなる。

何となく思い描いていた夢や目標の類は擦り切れていく日々と同じ様にゴミになっていった。

俺は使われる人間であり世の中には使う人間がいることを身を以て理解し始める。

 

何気ないただ働く日々の中にこそ資本主義の真髄はあるのではないか。

俺は資本を持っておらず、奴らは資本を持っている。

それ以上でもそれ以下でもなく資本主義では資本を持っている奴らが圧倒的強者である。

そして持たざる者は弱者となり使われて生きていくこととなる。

 

俺が漠然と絶望を描いていた「社会」とは、それだけであった。

拍子抜けするほどにシンプルな結論であった。

 

 

 気付いてしまった以上もう引くことは出来ない。

 

起業家、経営者にとって資本とは「会社」であり、地主にとって資本とは「土地」であり投資家にとって資本とは「株式及びマネー」であろう。

 

それら「会社」「土地」「株式及びマネー」が働き、自分の「金」を生み出すこととなる。

自分が働くわけではない。

 

 

そう考えると多くの人間にとって「金」を生み出す資本は「労働」であり資本主義=労働主義となっているのが現実であろう。

我々20代及び30代は年金も絶望的である。

毎日の様に日銀が自国の株式及び対価としてのドルを買い上げている。我々の年金で。

うかうか年金など払っている場合ではない。

 

右肩上がりであった給与事情もとっくに終わりを告げた。

ただ働いている場合ではないのは明白だ。

 

そして最も重要なのが大衆的問題第一位であろう少子高齢化だ。

もうすでに片鱗は見え隠れしているが日本はいつまでも超先進国ではないのだ。

当然労働人口は減り続ける。

他の労働人口が増え続けている途上国の人間にとって日本はもう何でもない国の一つとなっていくのだろう。

 

日本の中でただ働いていれば良いと言う旧日本的な働き方にもう希望は持てないのだ。

 

 

 

 

俺は政治に興味がない。

これはまた別の機会に書こうと思うが一応自分なりに勉強した上で興味がないのだ。

だから意志を持って選挙には行かない。

本意ではない主張をする気はない。

 

 

国がどうなろうと知ったことではない。

資本主義が変わることもなければ避けて通ることも出来ない。

意識しなければ食い潰されるのみである。

 

 

 

「世の中、金が全てである」

哲学的な問題であろう。

もうすでに何千、何万と討論の題として取り上げられてきたことであろう。

人の数だけ意見があって良いと思う。

 

分かっているのはそこから目を背けるとその「金」に苦しまさせられることとなる。

何故なら資本主義だから。

 

 

ここからは自戒であるが俺はそこから逃げる気はない。

気付きながら指を咥え負け続けることはもう出来ない。

資本主義が嫌で嫌で堪らないのならば、残された選択肢はどこかの国に逃げ何かしらの裸族の仲間入りをすることくらいしか思い浮かばない。

あまり現実的でない。

 

別に好きで資本主義を攻略したいのではない。

ただ社会人となりそこに自分なりの気付きを発見した以上、資本主義で勝ち残る覚悟を決めなければならない。

 

 

 

 

あえて希望を書こうと思う。

 

これからなのである。俺は。

何となく思い描いていたものが全て叶わないと知った。

だからこそ、ここから現実を直視し続けた夢を見ることが出来る。

 

ただ働いて疲れている場合ではない。

一刻も早く自分の「資本」となるものを獲得するために考え、行動し続けなけれならないのだ。

 

飲み屋で職場の愚痴を言っている場合でもなければそんな暇もない。

 

勝てれば良いなとか出来れば勝ちたいとかそんな甘いことを言っている場合ではないのだ。

勝たなければ駄目なのである。

もう一度言う。

勝たなければ駄目なのである。

 

 

資本主義及び現実は厳しい。

しかし俺は勝つ。

 

 

見てくれた方の検討を祈る。