恐怖、不安、迷い
平仮名で書くと随分可愛く見える。
きょうふ。ふあん。まよい。
仕事を辞めることが決まり退職日がもう間近に迫っている。
家の片付けや税金保険の手続きをしてると現実味がグッと増してくる。
ここ2年、安泰した会社員生活では味わえない恐怖、不安、迷いを早くも味わっている。
気持ちが良い。
これからどうなるか全く分からない、という点では就活をする前の大学3年時とあまり変わらないのだが1度でも会社員を経験した後とその前では明らかに考えることも思うことも違う。
1度でも会社員になった人間はもう会社員を経験したことがない人間には戻れないのだ。
当たり前のことだがこれがまた自分の中では割と大きいのだなとひしひしと感じている。
今、旅に出たい。出るべきなのではないか、いやいくら衝動が大事とはいえ経済的にももう少し蓄えてからでも遅くはないのではないか?と葛藤した22歳と、俺は行くと決断した24歳現在とでは。
知らなかった世界を知り、経験したことなかった生活を経験し、出会わなかった人達と出会ったこと。
これが間違いなく今の恐怖、不安、迷いの根源であると思っている。
しかし恐怖、不安、迷いがくることは想像の範囲内であるしむしろ歓迎している。
今までの安泰した幸せな生活を手放すこと、これからの安定した給与を手放すこと、今までとはあらゆることが変わっていくこと、環境が変わること。
今後、何の保証も無いこと。
これに対する恐怖、不安、迷いを排除することの方がそもそも無理な話なのだ。
そして最も大事なことはこれは俺が俺に対して勝手に妄想させている幻想にしか過ぎないのだ。
危険なことは確かに危険であるのだろう。
極寒の中、裸で何時間も居させられたら間違いなく絶命するであろうし最中、幾千もの恐怖、不安、迷いを感じるのであろう。
しかしそれはもう間違いなく危険であると確固とした事実からくるものであり今俺が感じている事とは質が違う。
危険であるという事実と、恐怖、不安、迷いを感じているという妄想を一緒にしてしまうと身動きが取れなくなってしまう。
これはトレードにも共通すること。
1度、轢かれた安泰のレールを外れる身。
もう既に振り返ることなどなく、自分の人生を俺は生きていくという強い気持ちが結局、何より大事になってくると確信している。
恐怖、不安、迷いをマジマジと舐め回すように見つめる。
そして今自分がすべきと自分が自分に対して決めたことをやり抜くこと。
そうするとブルブルくる震えも真正面から受け止められる。気がする。
俺が大好きな漫画たけしの一節でこんなことがある。
マミーとボンチューが初めて対戦した時、マミーが誇らしげに語った言葉。
「この間、喧嘩売られてよぉ。ぶっ飛ばした後二度と立てねーよなボコボコにしてやったよ。」
なんとも胸糞悪い台詞である。
小学生だった俺はマミーを嫌いになりかけた。
その後、マミーとボンチューが共闘することになったある日。
マミーがかつてない強敵に怯えていて、ボンチューに対して恐くないのか?と問いかけた際にボンチューが放った言葉。
「弱音が俺の肩に手回してきやがるからよ。背負い投げでぶん投げた後、二度と立てねーよにボコボコにしてやったよ」
これなのである。
このマインドこそ、これからの俺に最も大切なことなのである。
俺の覚悟が問われて気持ちが良い。
俺が俺に試されて気持ちが良い。
迷わず行けよ、行けば分かるさ。