為替とは

為替について淡々と書くと見せかけ色々書いていく姿勢

一人か独りか問題

明けましたね。

まー明けましたね、見事に。

 

本当は年始の旅と断食のことを書かないとなと思いながら全然違う題で何か書きたくなって結局やめるということを繰り返していたけどもう違う題で書くわ一回。一回ね。

 

この後旅のこと書こうマジで。

早く書かないと忘れるから。

 

 

今日は孤独についてね。誰しも一回は、みたいな話題。

 

 

俺も昔から一人でよく「独り」について考えて居た。

 

最近、家族とは。という話題で旧友と話す機会もあり「独り」と「家族」という相反するように見える関係性についてまた自分なりに考える機会が増えた。

 

 

昔から大の「一人」好き。

物心ついた時からとにかく「一人」になれる時間や場所を見つけ楽しんでいた。

母親曰く幼稚園の頃から友達の誘いを「一人で居たいから」という失恋直後のOLみたいな理由で断っていたらしい。ウケる。

今も変わらず「一人」大好きだし、それを寂しいことだと思ったことも自発的には無かった。

少し成長してからあーそれを寂しいと感じる人って多いんだなあという概念を学んだ。

だからと言って自分が「一人」でいるときに寂しいという感情を生まれてこのかた抱いたことはほぼ無い。

 

 

俺にとって「一人」は言葉にできない程、大切で大事な時間だし、人とは住めないなぁと年々強く思っている。別にイキってるわけではなく。

じゃあそれが「独り」かと言われると多分違う。と思っている。

 

 

感覚的に俺が大好きな「一人」の時間は「独り」では無い。

ただ人によっては俺が過ごしている「一人」の時間を「独り」だと捉え寂しいという感情が湧いてくる人も居るのだろうなと思って居る。理由はない。勘でモノを言っている。

 

じゃあ俺はいつ「独り」を感じることが出来るのか。

2017年はそれを感じたいが為にとにかく「一人」で居た。

そして年間通して素晴らしい「一人」の時間を過ごせた。

素晴らしくない時もあるがそれも俺の中では必要な素晴らしくない「一人」の時間であり後から振り返る今はそれを素晴らしいと捉えている。

 

 

東南アジアの女子と話す機会が増えてきた近年。

皆一様に「家族」との関係をとても重んじている。

俺からすると超新しい価値観だ。

別に俺も家族との関係を軽んじているわけではないが「一人でいると寂しいので家族と会いたい」といったことを思ったことは正直ない。

 

 

俺の中にはどこかかに「一人美学」があるのかもしれない。

一人で居れてなんぼ。自分事を他人に頼って〜はダサい。

みたいなことは昔からなんとなく思っている。

 

 

でもどこかで「一人」の時間が自分を強くすると信じている部分もある。

「一人」の時間が自信を作り、自尊心を育ませると。

そう思っている。

 

 

じゃあやっぱり「独り」ってなんだ。ってところがミソであり今年はとことんいってやろうと思っている。

俺の「独り」はどこだ。

 

 

早くかかってこい「独り」

今まで培ってきた「一人」と戦わせてやる。

 

 

それとも今までずっと一緒だった「一人」

お前が「独り」なのか。

 

 

分かる人居ますかねぇ、この感じ。