スリランカその6・ティッサマハラーマ
2016年2月18日
スリランカ4日目
朝は割と早く目覚めた。
チェックアウトまでまだ時間があったので何となくまた海を見に行った。
別に海がすごく好きなわけではないのだが、海が近くにあると行くものだなぁとか思いながら午前中はぼやっとしていた。
昼前になり前日にゴールに向かった方のバスとは逆方向のバスに乗るためバス停まで向かった。
ひとまず目的地はスリランカ最南端の地、マータラ。
ゲストハウスのおばちゃんにバス停の場所を教えてもらい、向かったが中々着かない。
重いバックパックを背負いながら幾らか不安な気持ち中で撮った商店の写真。
どんだけバナナ売ってんだよと一人でツッコミながら更に歩いた。
ひとまずバス停らしきところに到着し、道行く人にここからマータラ行きのバスが出るかどうか何度か聞いて確認が取れた後、道端に座りながらバスを待った。
何分か待つと本当にバスは来て乗り込んだ。
結構ヘロヘロになっていた。
バスからもひたすら海の景色が続く。
約2時間かけてマータラに辿り着く。40ルピー。
運転手がマータラマータラと巻き舌大声で叫んでいる声が耳から離れない。
物売りの少年から冷えたコーラを買い一気飲みをした。
バス停のトイレに入ろうとすると1ルピーを請求される。
稼げるところは何でも稼ごうという魂胆を感じながら用を足す。
リュック二つ持っている時のぼっとん便所は大変だった。
ウナワトゥナからマータラまではAC (エアコン)無しのバスに乗ってきたが、窓を開けていれば特に暑くもなかったのでまたAC無しのバスに乗り込み発車を待つ。
何よりAC無しの方が何だか旅感が出て良いもんだなと思っていた。
満員に近くなると出発した。
これはどのバスでもそうだったし、東南アジアあるあるらしい。
徐々にサバンナのような景色になって行く。
途中大きく寄り道をしながらティッサへ向かうルートであったらしく不安になりつつ3時間ほどかけてティッサに到着。
そういえば特に何も食べず、持ってきていたカロリーメイトを摘んでいただけだったので食べられるところを探した。
売店で売られている草で巻かれたカレーはどうも昔のトラウマがあり食べる気になれなかったので綺麗目な外人向けのレストランに入った。
焼きビーフンみたいなものとパイナップルジュース。確かこれで500ルピー(400円)くらいした。こっちの物価で考えれば十分高い。
味は普通だったがとにかく腹が減っていたので凄く美味く感じた。
トゥクトゥクの兄ちゃんを掴まえgoogle mapを見せながら宿までの価格交渉をした。
何ルピーか忘れたが相場からいって凄く良心的な値段で乗せてもらえた。
色々と喋りかけてくる運転手で、色々と話をした。
明日サファリに行こうかと思っているんだという話をしたら、じゃあ紹介してやると言われ途中のレストランで止まりその紹介人を待った。
この話自体いかにも怪しい臭いがしているにも関わらず現れたのはドレッドヘアーのいかつめの兄ちゃん。名はサンダル。
憶しながらも価格交渉に入る。
事前の調べで相場は大体知っていたので幾らか聞くと1日コースは8000ルピー、半日コースは5000ルピーと言われる。
そんなにふっかけている料金でもなかったので拍子抜けしながら価格交渉をしたら4000ルピーまで下がった。
デポジットとして今1000ルピーを渡してくれと言われたが流石に怪しいなと思ったので断った。
決まりなんだと相手も引かなかったのでじゃあ500ルピーでということで話はまとまった。
500ルピーを渡し再度トゥクトゥクに乗せてもらい宿まで向かってもらった。
宿の近くで降ろもらい、歩いて向かった。
着くと、子供たちが庭で遊んでおり泊まりに来たのかと聞かれたのでそうだよと言いながらiphoneでbooking.comの予約画面を見せた。
奥さんが中から出て来て二階の部屋まで案内してくれた。
部屋の外の扉では恒例のヤモリがお出迎えをしてくれた。
部屋で荷物の整理をしていると子供達がウエルカムドリンクを出してくれた。
南国で飲む生搾りジュース的なやつはマジで美味い。
下すリスクもあるが。
着いたのは夕方の6時半頃だったがこの日は特にやることも無かったのでとりあえずゲストハウスの周りを散歩していた。
といってもティッサマハラーマがそもそも割と田舎の上、市街地から離れた宿だったので民家と野良犬と売店くらいしかなかった。
宿の前の道。
次の日の朝も早かったので夜は早めに寝た。
ちなみにスリランカでは夜基本的にやることがなかったので日本と変わらず部屋の中でいつも通りyoutubeとかを観ながら過ごした。
ポケットwifiとiphoneと一人の空間があれば大抵快適に過ごせる。
広いダブルベットで快眠へと入った。
スリランカその6終わり
スリランカその5・コロンボ〜ウナワトゥナ〜ゴール
2016年2月17日
スリランカ三日目
前日に引き続き予約していたゲストハウスとは別の宿に泊まり本来泊まるはずであったオーナーに起こされるという形で一日が始まった。
オーナーには前日から電車の時間や行く先などを伝えており、駅まで送って行ってやると有難いことを言ってもらえていたので好意に甘えることにした。
車の中では、前日のコロンボでの感想を聞かれ懐かしくて最高だっただの何だの色々と話をした。
宿から走ること20分程でコロンボフォート駅に着いた。
スリランカで一番大きい駅。
着いた初日も空港からのバスでフォート駅に降り、雨の湿気も混ざっていて強烈にスリランカを思い出せてくれた場所であった。
ゲストハウスのオーナーにお礼を伝え別れた。
駅は朝から人でごった返しておりスリランカ感満載だなぁとかぼやきながら事前に予約していた電車の電子チケットを見せにカウンターまで行った。
あっさりと紙のチケットと交換してもらいホームの中で電車が来るのを待った。
コロンボ〜ゴールまでの切符。
確か1車両しかない特等席に乗った。
それでも990ルピー。当時のレートで800円程。
朝のホームは薄暗く人でごったがえしておりとにかく恐怖だった。
意外と時間通りに電車は出発しゴールまで約4時間の電車旅が始まった。
座席ではポケットワイファイも比較的繋がりやすく風景を見つつ普通にネットサーフィン等をしながら楽しんだ。
徐々に降りて行く他の乗客をよそ目にgoogle mapで「あと何キロか〜」とか言いながら着くのを心待ちにしていた。
そしていよいよ到着、
俺が降りたのは目的地ゴールの少し手前ウナワトゥナという場所。
今書いていて思ったが目的地ゴールって紛らわしい。
ゴールという地名です。
駅を降りた瞬間トゥクトゥクのドライバーに絡まれる。
スリランカでは普通。
google map で宿の位置を見せると知っていると言うので値切り交渉。
300ルピーでどうだと。
高い。
100ルピーだと俺。
いやそれは。いやそれはじゃなくて。と幾らか交渉してるうちに俺は少しそいつに少し好意を寄せ始めていた。
おそらく俺と同じ歳くらいだろうと思える彼の熱意(こいつから絶対取ってやろうという)がひしひしと伝わってきた。
分かった。
250で行こうと少し高いなと思いながら乗せて行って貰った。
宿に着いた途端愛想の良いゲストハウスのオーナーが駅からいくらできたと聞いてきた。
250だと伝えると、それは高いと一目散に外に走って行った。
もうすでに乗せてきてくれて兄ちゃんは居なくなっていたが、ここまでは普通100ルピーで高くても150ルピーだよと興奮するオーナーに、いや良いんだよ。
俺は彼の熱意に負けたんだよということを上手く伝えられず哀しそうな顔をされた。
俺がbooking.comで予約していた部屋はまだ掃除中だということで、しばらくは小さなロビーのようなところで休んでいた。
部屋の掃除が終わり部屋に入ると、シングルベットが二つのツインタイプ。
アジアのゲストハウスではよくある形式らしい。
確か値段はスリランカ旅行の最安値で7ドル程度だった。
からといっても特に不便はなく快適に過ごせた。
早起きと電車移動で多少疲れていたが近くにビーチがあったので行ってみた。
ビーチに行くとオーナーの奥さんに伝えるとサンダルを貸してくれた。
ファラン(欧米人)がちらほら。
特に綺麗でもなかったが海パンを履いていたのでとりあえず入ってみてしばらく浮かんでいた。
しばらく海に浮かんだ後、宿に戻り着替えを済ませバスに乗ってゴールに向かった。
その中の一つである旧市街に小さい頃行った思い出があったので今回も行こうと決めていた。
ウナワトゥナからゴールまではバスで30分もせず着いた。
ゴールの電車が発着する駅。
ゴールという街は新市街と旧市街に分かれており、バスを降り歩いてトンネルを渡ると旧市街に入れる仕組みとなっている。
旧市街に入ると中は登下校中の子供たちでいっぱいであった。
そういえばクリケットをして遊ぶ子供たちの姿も見えたから旧市街の中に学校でもあるのだろうか。
そして旧市街の坂を登って行くと城壁に上に行くことができる。
言葉の説明だと難しいが旧市街は塀で周りを囲まれておりその塀の上を歩き回れることが出来る仕組みになっている。
その塀の上から撮った写真。
曇っていて過ごしやすかったこともありしばらく横になっていた。
結構長い時間ぼけっとしてからまた降りた。
後から他の方のブログ等を見ると何ともまぁ他にも観光出来そうな建物などがあった。俺は今回の旅でこの塀の上でぼけっとした時間がとても印象深く残って落ち今思い出しても気持ちが落ち着く。
ゴール上空から旧市街の写真。
旧市街を出た後は新市街の方を特に当てもなく日が暮れるまで歩いた。
帰りも同じようにバスで宿まで戻り、夜のビーチを訪れまたダラダラとしていた。
基本的にファランのカップルが多かった。
露店がビーチ沿いに並んでいたので、適当に飲み食いする。
ビーチでのんびりしているとチラシを貰った。
名前は忘れたが何たらフェスティバルと書かれていた。
近くで祭りが行われるらしい。
ホテルに戻り住み込みで働いてる青年に聞いてみた。
行ってみると面白いよとのことだったのでトゥクトゥクを呼んで貰った。
今思うとこっから始まっていたのかなと思う。
青年はとても人を騙すような感じには見えなかったが。
呼んで貰ったトゥクトゥクに乗り込み場所を告げると分かったといいドライバーは走り出した。
ゲストハウス沿いの道路を外れ山道に入ろうとした時、トゥクトゥクの調子がおかしいと言い始めた。
道端にトゥクトゥクを止め格闘していたが諦めたらしく知り合いのドライバーを呼ぶと言われた。
う〜ん怪しい。と思いつつここまで大分きちゃったしなぁとか思いながら、待つことにした。
ドライバーには300ルピーで連れて行ってやると言われていたが途中でこういうことになってしまったので半分の150ルピーだけ支払った。
そしてやってきた次のドライバーのトゥクトゥクに乗り込み山道を走る。
しかしどうもこのドライバー道を分かっていない。
チラシには建物の名前しか書いておらず、頼みのgoogle mapで調べても出てこない。
ネット検索をしても住所も出てこなかったのでドライバー頼み。
同じ道を行ったり来たりしなが何度も知っているのかと聞いたが大丈夫という。
スリランカの田舎の山道でトゥクトゥクに乗りながら迷子になるのは中々の恐怖だ。
最終的にドライバーは道が分からないと言い始めた。
まぁまぁの声量で日本語で悪態をつくも雰囲気を悪くなる一方。
もういいから宿に戻ってくれと俺は伝えた。大通りまで出れば分かるからとにかくそこまで戻ってくれと。
ドライバーは微妙な顔をしながら大通りへと引き返し始めた。
宿の前まで連れて行ってもらい当初そのドライバーと200ルピー交渉であった半分の100ルピーを払って別れた。
宿に戻ると、早かったじゃないかと不思議そうな顔をする住み込みの青年。
事情を説明するとなんてことだと言い残念そうな顔をしていた。
恐怖込みの旅疲れで疲弊していたためその日はそのまますぐ寝たが、今思えばどっから何がおかしかったのか。。。
トゥクトゥク呼ぶよと言ってくれた住み込みの青年がそもそもグルだったのか、本当にトゥクトゥクの運転手は道が分からなかったのか。
まぁ大概騙されているのだろが、真相は闇の中ということで。
スリランカその5終わり
スリランカその4・コロンボでの一日
2016年2月16日
騒々しいクラクションが良い目覚ましになった。
昔コロンボで住んでいたマンションを思い出した。
泊まっていた2階の窓を開けるとヤシの木と雑多な車がクラクションを鳴らしている光景。
そうそうこれこれと何度も頷く。
着いた時から何かにつけ、あースリランカに来たんだなと思い続けていた。
もう2度と来ることもないと思っていたし長い間来たいとも思っていなかった。
色んなことがあったなぁとか思った。
色んなことじゃ形容しきれねーわ!と1人で突っ込んでいた。
そりゃ当時小学生が大学生も終わる頃になってるんだもの。色々あって当然。
外に出て宿の若い連中と一服しながら適当に雑談していたら昨日迎えに来てくれた本来泊まるべき宿のオーナーがまた迎えに来て来れた。
時間通りに来て少し驚いた。
本来泊まるべきはずだった宿に連れて行かれるとヨーロッパ系の顔立ちをした子連れ家族が庭でのんびりして居た。ロングバケーションというやつなんだろうか。羨ましい限り。
吹き抜けの居間に朝飯を用意してもらっていた。
焼いたパンとすごく甘いジャムと紅茶。
ちなみにスリランカ朝飯は何故かどこもこのスタイル。
日本で言うところのご飯味噌汁漬物的な感じなのか分からないけどとにかくこれを食べ続けた。
食べ終わった後しばらく庭で一服しながらボケっとしていた。
猿がいたのでひたすら眺めていた。
「今日はどこに行くんだ?」とオーナーが聞いてきた。
「昔通ってた学校と住んでた家を見に行きたい」と俺。
「じゃあトゥクトゥクを呼ぼう」とオーナー。
少し待って呼んでくれたトゥクトゥクの兄ちゃんにコロンボ日本人学校の住所を伝える。
「オッケー任せろ」と向かうもいいもはっきりした場所が分からなかったらしく信号待ちの度に隣のトゥクトゥクの兄ちゃんに尋ねまくっていた。
今回のことを通して感じたがスリランカ人、皆他人と距離が近い。
分からなかったらすぐ聞くしすぐ教える。
なんの違和感もなくそれをやってのけることすら俺からしたら新鮮。
文化の違いというやつでしょうか。
色々迷いながらようやく到着。
校舎裏の守衛へ声をかける。
昔、通ってたことを伝え中に入りたいことを伝えても通してくれない。
守衛のおっさん3人は怪しみながら俺に何故入りたいのか聞いてくる。
何故と聞かれても困る。
特に理由はないし、強いて言うなら昔通ってた学校を少し見たいだけだし、理由にもならない。
え、つーか分からないこの気持ち?!
とまぁ軽く感情的になりながらもとにかく中の日本人先生へ繋いでくれと頼む。
それすらも拒む看守達。
親の友達が先生やっているんだと遅めの嘘をつく俺。
何故か信じて素直に繋いでくれる看守。
よし、日本人と話せれば何とかなる。と意気込む俺。
日本でも使わないような丁寧語で事情を説明する俺。
快く受け入れてくれた日本人先生。
ようやく裏門が開かれ入っていく俺。
疑いの目で見送る看守達。
とまぁこんな流れで何とか学校の中に入れてもらえた。
出迎えてくれた女の先生、申し訳ないけど名前忘れてしまった。本当に多謝。
もう一度色々と事情を説明すると今は授業中だから好きなだけ学校の中見ていって良いですよと先生。
一通り学校の中を見させてもらったが全然懐かしくない。
それもそのはず。
俺が日本に帰ってくるタイミングでスリランカコロンボ日本人学校は新校舎に移動していたから。
実質この新校舎に通ったのは数日しかなかったわけで空き教室の中からなんとなくひたすら外を眺めていた。
面影のあるバスケットのリングは15年前、俺が散々遊んでいたものだった。
校舎の正門側には当時旧校舎から移る生徒達が書いた絵がタイル張りに貼られていた。
俺の絵もあり、当時の同級生のものもあった。
俺の兄貴のも家族ぐるみで中良かった人達のも全部あった。
こんな絵書いたっけなぁと全然覚えてなかったけどとにかく懐かしさ全開で写真を撮りまくった。(右下が俺の)
授業が終わって他の先生とも色々な話をした。
何を話したのか特に覚えてないが勝手に充分に懐かしんだ後、旧校舎の住所を教えてもらい先生方に御礼を伝え学校を出た。
尚、猜疑心丸出しの看守達の視線受けながら一礼をし、さぁトゥクトゥク捕まえるかと大通りに出た瞬間なんとさっき宿から送ってくれたトゥクトゥク運ちゃんが待っていてくれた。
「まだどこか行くんだろ?乗ってけよ!」
とまあなんだこの良い奴と思いながらまた乗っけてもらった。
先程教えてもらった住所を伝え、いよいよ自分が通っていた旧校舎を目指すことに。
近づくにつれ風景が様々なことを思い出せてくれた。
バクバクしながら場所に着くと、そこは大きな民家になっていた。
隣の家の人の話では何年か前に取り壊しになり新しい家が建てられたとのこと。
喪失感というか焦燥感というかなんだか寂しい気持ちになりながらも五分くらいそこで立ち尽くしていた。
良い時間だった。
トゥクトゥクの兄ちゃんに礼を告げて歩いて周りをぶらぶらした。
昼飯を食べてないことに気付き、街中の食堂に入った。
食べていると「日本人ですか?」と30代半ばくらいであろう女性に声をかけられた。
思いっきり日本語が書いてあるTシャツを着ていたのでばれたらしい。
この時点でまだ日本を発ち2日と経っていなかったが先ほどの日本人学校同様、日本語で滞りなくコミュニケーションを取れることが嬉しくお互いの経緯や事情を話した。
女性は半年程コロンボに住みアーユルヴェーダ(スリランカの伝統的なオイルマッサージ)を勉強しているとのことで、日本に帰ったら神奈川で店を開く予定だと言っていた。
コロンボに来たら行きたい場所がもうひとつあった。
よく行っていたスーパー。
名前は忘れたけどその女性に「ここら辺で大きいスーパーありませんか?」と尋ねると「アルピコのこと?」と。
名前を聞いてテンションが上がった。
「そうそれそれ。よく行ってたんですよそのスーパー」と伝えると近いから案内するわねと言ってもらい案内して貰った。
連れてってもらい女性とはそこでお礼を告げ別れた。
店内を写真を撮りながら練り歩き「懐かしいな~」なんて言いながらビールと煙草を買って外に出た。
なんだかバスの運転手達が路上に座り込んでたむろしている場所があったのでそこで一緒にぼけっと一服していた。これもまた良い時間だった。
ちなみにスリランカの主流はこのライオンビール。
日本のラガービールをよりこってりさせた感じ。
さぁそろそろ行くかと思いトゥクトゥクを停めた。
目的地はひとつ。
「ゴールロード沿いのマクドナルドへ連れて行ってくれ」
ちなみにスリランカで乗るトゥクトゥクの値段は全て前交渉で決めていた。
日本人と分かれば、向うも吹っ掛けてくるのが当然。
大体1kmごとに50ルピー₍当時のレートで40円程)と事前の調べで知っていたのでgoogle mapを見せながら値段交渉をした。
コロンボを走るトゥクトゥクはメーターが付いているのも多かったがメーターをいじっているドライバーもいるので全てのトゥクトゥクを前交渉で乗ることにしていた。
当然といえば当然か。
目的地に連れて行ってもらった。
マックに着き適当に路肩に停めてもらい降ろしてもらった。
あの時、俺相当ニコニコしていたと思う。
目の前にある建物。
15年前、俺が2年間住んでいたマンションがあった。
今回、俺がスリランカに行くということは当時よくしてもらいっていたマンションのオーナーに父親経由で伝えてもらっており、俺自身もメールで今回行くことを伝えていた。
とても楽しみに待っていると言ってくれたオーナーに再会するのも今回の目的の1つであった。
ワクワクも最高潮に達しながら、マンションの中に入った。
守衛のおっちゃんに「スラジ(マンションのオーナーの名前)に会いたい」と伝えると怪訝な顔をされる。
「誰だそれ」と。守衛のおっちゃん2人で話始める。
おいおいマジかよと思いながらも色々話していると、「分かったじゃあ付いてこい」とおっちゃん。
案内されたのはマンション7階の事務室でそこにいた女性がようやくオーナーのことを知っている人物であった。
ちなみにこの時7階までいったエレベータこそ当時毎日乗り降りしていたものであり、状況がゴダゴダしていたものの、その匂い、音、湿気にテンションが上がりまくっていた。
その女性にまた別の事務所に行くよう指示された。
そこはマンションの隣に設置されてある平屋の事務所であり、そこに入ると太ったスーツを着たスリランカ人男性が迎え入れてくれた。
明らかに英語が聞き取りやすいし(他のスリランカ人に比べ)、スーツを着ていることもあり少しかしこまったがとても温かな対応をして頂き安らいだ。
ソファに案内してもらい紅茶を出して貰った。
その男性はオーナーの部下であるらしく今日俺が訪れることもオーナーから聞いているとのことで優しく対応してくれた。
小さかった頃の俺や兄貴のこと、また当時の父親や母親のことも覚えていてくれて色々と話をしてくれた。
「オーナーはあいにくミーティング中なんだ」と伝えられ何時頃終わるかと尋ねると分からないとのことだったので、少しその事務所で休憩がてら待たせてもらうことに。
目の前の海にある堤防でぼけっとし懐かしんでいた。
しばらくするとミーティングを終えたオーナーが戻ってきた。
15年ぶりの再会である。
俺がまだ小さかった頃も良くしてくれた記憶があるし、小さいながらもこの人優しいなと思えたということは相当優しかったのだろうと成人した今、思う。
積もる話もありつつも次の仕事が控えているとのことでオーナーは急いでいるらしく「今夜ディナーに行こう。迎えに行くから住所を教えてくれ」と伝えられ住所を伝えると、その時間まで宿で待っていてくれと送ってもらえる車とドライバーを手配してもらった。
至れり尽くせりであった。
感謝を告げ、俺はその車で宿まで連れて行って貰った。
宿に着くと興奮の疲労から爆睡してしまい、次に目が覚めたのはオーナーが迎えにきた時であった。
オーナーの車に乗せてもらい海辺のレストランに連れて行ってもらった。
まともな食事にありつけられたし、何故かビールがピッチャーできた。
若いから沢山飲むだろうと。日本のおばあちゃん的な優しさがあった。
なんか火の棒で踊る人。
俺の拙い英語を必死に聞いてくれながら昔話を色々とした。
ニコニコしながら話を聞いてくれたし俺に分かりやすいような英語で話してくれた。
優しさが身に染みた。
大分ベロベロになった頃にさーそろそろ帰るかとドライバーを呼んでもらい宿までまた返して貰った。
オーナーに何度もお礼を告げ、泥のように眠った。
濃く充実した1日が終わった。
その4終わり
スリランカその3・初日~2日目inコロンボ
前回、ようやくスリランカに着いてとにかく感動しましたってところで終わったのでその続きから。
前回貼り付けた写真のバスに乗り込んだ後、乗客が一定数入るまで20分程待った。⁽日本で乗り込んだバスが20分留まってたら普通にいらいらしただろうけど、もうスリランアカだ!やばい!とテンションだだ上がりだったので何も気ならなかった)
隣に乗り込んできたおっさんととりあえず話す。というかこの旅全般通してなのだがテンションなのか何なのか知らないがとにかく色んな人に話しかけまくった。迷惑だったろうに。ごめんなさい。
隣のおっさんはコロンボ市内で警察官をやっており、今は友人を空港まで見送りにきた帰りだと言っていた。
俺も俺でテンションが上がっていたので「小さい頃、コロンボに住んでいてコロンボ日本人学校にいて~」等々赤裸々に話しまくった。
話している内にその警官のおっさん、スリランカ日本人学校の警備なんかもやったことがあるらしくまた一際テンションが上がったが時期は被っていなかった。
「今日はどこまで行くんだ?」と聞かれbooking.comのアプリで住所を見せたら何やら怪訝な顔をしていた。
どうやら少し入りくんだ場所にあるらしく周囲の乗客にここまで行く人はいないかと聞いてくれた。すると通路を挟んで隣にいた女性が近くまで行くので案内してくれると。
警官のおっさんにありがとうと伝え、警官のおっさんは降りていった。その前に俺の胸ポケットに入っている煙草を物珍しい顔で見ていたので一本上げた。
この旅この後俺はあらゆる所で煙草をねだられる様になるわけだがそれもそのはず。
スリランカ人の一般的な平均月収は1.5万~2万円。そしてスリランカの煙草は輸入されているものなので日本円でおよそ800円位する。
これを日本の大卒平均月収が20.7万円、煙草1箱辺り400円の基準で考えるなら現地の人にとってはおおよそ1箱辺り8000円程の嗜好品ということになる。
たまに行くバーか何かくらいの感覚だ。
そりゃ当然煙草を胸ポケットから覗かせていたらねだられるのも納得がいく。
その後バスはコロンボフォート駅というスリランカ最大の駅に着いた。
隣の女性に連れられ人ゴミを歩いていく。
この人がいなかったら本当に分からなかった。助かった。
コロンボフォート駅は人でごった返していた。
ものすごい熱気で軽く霧雨が降っている中湯気が立っている様にもみえた。
とにかくスリランカに着いたばかりだ。何をするにしても楽しかった。
持ってきた水はもう温くなっていたので途中の売店でコーラを買った。100ルピー。約80円。あ、意外とするんだなと思った。冷たいコーラ、本当に美味かった。
女性に誘導されバスに乗り込んだ。現地の人しかおらずジロジロ見られた。
ここでようやく案内してくれた女性と話すことが出来た。
案内してくれた女性は空港近くで働いていてその帰りとのこと。
親切に案内してくれたことに対してお礼を伝えていたらバスの集金がやってきた。
案内してくれた女性の分も出そうかと思い財布に手を伸ばした段階で既に女性が2人分を払っていた。
バス代と言っても1人100ルピー程だ。
先程書いたように現地の人にとっては決して安く無い金額だ。
正直な話、俺は100ルピーでも200ルピーでもどちらでも良い。
何故彼女が払ってくれたのかは分からないが、見ず知らずの異国人に優しくしてくれた彼女の姿にとんでもなく心が安らいだ。
泣きそうなくらい温かな気持ちになった。
彼女の方が先に降りていった。降り際に「本当にありがとう。貴女のお陰でとても幸せな気持ちになった。この恩は忘れない。」と下手な英語で伝えたが伝わっただろうか。
その後俺もバスを降りグーグルマップを頼りにゲストハウスへ。
路地裏を進み若干治安の心配をしながら探したがこれが見つからない。
小雨も強くなってきてリュックに入っている折り畳み傘を片手に歩き回った。30分以上。
電話しようにも俺のiphoneじゃ繋がらない。
途方に暮れた。正直結構怖かった。
すると近くの割と豪邸な家の駐車場が空いた。
ここしかないと思い中から出てきた子供達に声をかけた。
「今スリランカに来たとこなんだけどここの宿が見つからないんだ。電話してもらえないか?」
子供達は父親を呼びに行き父親にも同じ説明をしたところ電話をしてくれた。
ゲストハウスと繋がりオーナーと話すことによって父親も事を把握したようで場所を指定してくれた。そして俺をその場所まで連れていってくれた。
お礼を伝えながら何となく痴話話をしてるとすぐにゲストハウスのオーナーが迎えに来てくれた。
着いてから僅か数時間で助けられっぱなしであることに感謝しかなかった。
父親にも何度もお礼を伝えオーナーの車へ。
やはり空港に迎えに来てくれていたらしく見つけられなくて申し訳ないと伝えた。
しばらく走るとオーナーがこう言った。
「すまない。手違いで部屋が埋まっていて…他の宿でもいいか?値段は変わらない。」
一瞬戸惑ったが「うん、大丈夫」とすぐ言ってしまった。
とにかく一刻も早く落ち着きたかった。
今考えると二つ返事で返答したのは少しあれだったな。
その代わりの宿とやらに着いてオーナーが宿の人間と何やら話した後「明日の朝は迎えに行く。こっちの宿で朝飯を食べよう」と俺に言った。
「分かった。じゃあ明日何時に来てくれ。今日はありがとう」と答えて別れた。
代わりの宿は二階建てのホテルみたいな場所で評価されていた料金表も別にぼったくっている訳ではなかった。
部屋は綺麗だった。大きなダブルベットがあり、シンプルな部屋だった。
すぐにシャワーを浴びベットで仰向けになった。
大きなプロペラが回っている。
昔住んでいた部屋にも付いていた。
これを眺め寝てたなぁとまたそこでスリランカに来たんだなぁと実感が湧いた。
長時間の飛行機と興奮と不安とがぐちゃぐちゃになってその日は一瞬で落ちた。
興奮しきりの1日が終わった。
バンダラナイケ国際空港からコロンボフォート駅へのバスでもらったレシートみたいな紙とおつり。
その3終わり。
スリランカその2・鳩ヶ谷~バンダラナイケ国際空港
早速大分時間が経ってしまい、経てば経つほど億劫になっている感も否めないですが記録として残さないとこれからどんどん忘れる一方だしと自分で自分のケツを叩いているところです。
前回の前置きは、結局なんでスリランカに行こうと思ったのか、で行くまでの準備等を大雑把に書いたところで終わったのでその続きから。
2016年2月15日(月)
出国当日。
乗る便は成田空港11時20分発。バンダラナイケ国際空港17時50分着予定⁽時差が3時間半あるので日本時間21時20分着)の飛行機であった。
ちなみに成田~コロンボの直行便は現時点では格安航空などはなくスリランカエアラインしかない。フライト日は月・木・土・日の4日間。1日1便となっている。
値段はサーチャージ込で8万3千円。そんなに高くも安くもない時期だったらしい。
スリランカ航空の窓口は混むとネット情報に書いてあったので、早めに家を出た。
父親の出勤時間と同じ時間に出たので7時半頃の鳩ヶ谷発の電車に乗った。
仕事へ向かう父親とは日暮里で別れ、その後京成本線特急で京成高砂を乗り継ぎ成田空港へ。
約1時間半かかったので9時頃着いた。
一服をした後、スリランカ航空の窓口に並んだ。
噂通り長蛇の列が出来ており1時間程並び、印刷してあった書類を渡した。
受付のお姉さんがその書類を見て怪訝な顔をしていた。
「うーん多分これで大丈夫だと思います」と言われたが未だに何の問題があったのか分からず終い。
「入国出来なかったら嫌だな。。。」と結構心配になったが結果特に問題なく。
送られてきたメールを印刷しただけでは足りなかったのだろうか。
とりあえずチケットを発行してもらい、そのままレンタルwifiの窓口へ。
この間の記事で紹介した「イモトのwififi」の窓口へ。
ここも少し並んでいたので20分程待ち簡単な説明を受け一式を受け取った。
小さなバックの中には本体と予備のバッテリー、充電器が入っていた。
チェックインの時間まで落ち着かずウロウロとしていたが、そういえば成田に来るのも久しぶりだなぁと思った。
少5の時にサイパンへ行った時以来か。。。と既に感傷モードに若干入りながらチェックインの時間を待った。
朝から何も食べていなかったのでサンドウィッチを食べた。確か。食べた。
そうこうしている内にチェックインの時間が来たのでそのままスルスルと搭乗した。
そもそも1人で海外に行くのも初めてだし、14年ぶりのスリランカということで基本的にずっとそわそわしていた。
通路側の席で隣にはスリランカ人の女性が座っていた。
シートでは自由に映画が観られることに驚いた。
映画だけじゃなく音楽、テレビ番組等も観ることが出来た。
正確に何が観れたかをうる覚えだけども、離陸してからはとりあえずスリランカ語の番組や英語の番組を漁ったが案の定よく分からなかったので結局「バクマン」を観た。
機内食は2回。
離陸してから直ぐと、その5、6時間後に出た。
そもそも機内食も久し振りだった。
子供の時はあの独特の味というか匂いがダメだったが今は何のその。
普通に美味しかった。
因みに離陸は確か30分くらい遅れた。
バクマンを観てからは基本的に寝るか地球の歩き方をパラパラ読むか。
とにかくソワソワしてたのであまり頭にも入らず寝付きも浅かった。
今思い出しても少しソワソワする。
着陸の瞬間は基本的に起きている。
というのも実は私航空性副鼻腔炎という持病?があり何回か着陸の際に死にかけている。
詳しくはググって欲しいのだけどもとにかく着陸の時は集中していないとダメなのだ。(集中してもダメな時はダメだけど)
この時は何事もなく無事着陸。
実はこの瞬間がすごく楽しみだった。
飛行機と空港を繋ぐあの搭乗橋。
北海道に夏行った時なんかも飛行機を出た瞬間あの搭乗橋が既に涼しくて「うわ〜涼しいなぁ」なんて毎回思うくらいあの搭乗橋はその場所の温度と湿度と匂いを感じる事が出来る絶好のポイントだと思う。
様々な思い出が蘇ってくる場所だと思っている。
昔、スリランカ以外の国に旅行に行きスリランカに着いた時のあの搭乗橋の温度、湿度、匂い。
当時は「あっち〜、くせ〜(排気ガス)」くらいしか思わなかったけど今回は本当に楽しみにしていた。
降りた瞬間、予想を遥かに上回るスリランカ感が襲ってきた。
あ、やばいスリランカ。もうスリランカ。ここはスリランカ。あ、ここはスリランカだ。え?あ、スリランカだここマジで。と頭の中で色んな思い出がぐちゃぐちゃになりながらただただ感動していた。
邪魔になるので端に避けたがしばらく搭乗橋の上に居た。
とても良い時間だった。
降りてから入国審査のカウンターまで結構ある。
「あれ、こんな長かったっけ?」とか思いながら周りを見渡しても景色に関しては大して懐かしい感じもしない。懐かしいのは圧倒的な空気感だけ。
とそこで思い出す。というか気付く。
子供の頃空港内を歩く時はとにかく親の後ろをついていた。
自分で考えて主体的に動くことなんか殆どない状態だったから記憶も薄く、空港内に関して懐かしいといった感覚が無くても当然なのかと自分で納得した。
当然入国審査等もやってもらってたのでとても新鮮だった。
オドオドしてると怪しまれるかと思い澄まし顔で通った。内心バクバク。
因みに見せろと言われると思いネットで購入したビザは結局要らなかった。審査する人によるのかな。。。?
通ってからとりあえず「イモトのwifi」をつけた。本当に使えるのかどうか。
速度は多少遅いけども問題なく使えた。
着いて数十分後には普通にネット見てラインもしていた。
その後両替を空港内でして(5万円を約6万ルピーに)その日泊まるゲストハウスのオーナーが迎えに来てくれてるとのことだったので探し回った。
色んな看板を持ってるそれらしき人がわらわらといたが30分程探しても居なかったので直接向かうことにした(今思えば本当に申し訳なかった。。。)
外に出るとよりスリランカ。
何を言ってるのかよく分からないけどとにかくもうそうとしか言えない。
直ぐにタクシーの運ちゃんに声を掛けられるが「コロンボ市内までのバス乗り場どこ」としか俺は質問しなかった。
というのもその時間夕方6時過ぎごろだったらまだバスがあるのは事前に調べて知ってたしタクシーだとボッタクられるのも目に見えていたから。案の定2000ルピー前後でふっかけられた。
あまりにバス乗り場を教えてくれないので少し怒った口調で話したらどっかにいった。
その後適当に歩きながらタクシーの運ちゃんじゃない人達にバス乗り場の場所を教えてもらい乗り込む。
ここで初めて写真を撮った。
なんか暗くて分かりづらいけど小雨が降ってたのでご勘弁。
とにかくこうして俺はスリランカにやって来た。
今思い出してもあの時間というのはとてもワクワクする。
次回はようやくスリランカ旅について少しずつ触れていきたいと思う。
では。
その2終わり。
スリランカその1・前置き
2016年2月15日
約14年ぶりにスリランカへ行った。
そもそもこれを書いている現在は2017年2月12日なので約1年前のことだ。
何故唐突に書こうかと思ったか、理由は忘れていきそうだから。とごく普通のもの。どちらかというと忘備録に近い。
また今後のことを思い何かと書く癖を付けていきたいとも思ったから。
書かないと文章力は落ちる。ような気がする。
ブログであればネット上にも残るし、後々見返したとき照れ恥ずかしい思いも出来るであろうと思ってかなり重い腰を上げ書くことにした。
書き始める理由についてはこれくらいにして、冒頭に書いてある日付に俺は約14年ぶりにスリランカへと行った。
そもそも俺は2000年3月~2002年3月までの2年間俺はスリランカに住んでいた。
父親の仕事の都合で小学校入学と同時にスリランカはコロンボ日本人学校へ通いだした。
日本人学校というだけあって当時出来た友達は日本人ばかり。当然日本語ばかり喋る。
今思えばなんて勿体ないことしていたのだろうと思うが、当時現地の学校に通わせるのは親としても心配する部分は大きかっただろうし、いきなりシンハラ語の環境にぶちこまれてもそれはそれで相当駄々を捏ねただろうと容易に想像がつくが、少しでもあの時英語やシンハラ語の嵐を浴びておけば。。。といった気持ちもなくはない。
当時のことを書きすぎても終わりが見えないので随所で振り返っていくとして、とにもかくにも帰国して約10年間は全く行きたいと思っていなかった。
丁度高校生くらいの周りが、留学だ云々言い出す頃も全く興味もわかなかった。
大して感傷的になることもなかったからだと思う。
それが大学に入り好き放題バンドをやり、遊び呆けて過ごした後いよいよ社会に放り出されるのかとなった頃に、猛烈に気になり始めた。スリランカのことが。
残りの自分の時間というのを本当にリアルに考え始めたころでもある気がする。
今は今でまた20代や時間に対する価値観も若干変わってきているが、当時は社会人になるということが全くなんのこっちゃという状況だったので(といっても1年半程前だが)「今の内にスリランカへ行っておかねば」という半ば追い詰められたような状況で行くことを決めた。
スリランカヘ行くにあたり、バンドで知り合った先輩がスリランカやタイなどをバックパッカーで周ったという話を知っていたので飲みに連れていってもらった。
またコロンボ日本人学校時代よく遊んでいた友達がスリランカへ旅をしに行ったと耳にし戸田に住んでいたので、話を聞かせてもらった。現地で使うコンセントの変換プラグも借りることが出来た。大変助かった。
基本的に今回の旅は着いてから行き当たりばったりで止まる場所などを決めるようなことはしなかった。
そもそも現地でいきなり泊めてくれなんて言って本当に泊めてもらえんのかよと半信半疑なところもあったし(実際いきなり言っても泊まれる場所はたくさんある)住んでたとはいえやっぱり怖いので全宿とルートは日本で決めていった。
今思えば、ブッキングドットコムやアゴダなどの宿泊アプリを使った方が安くなる場合が多いのでそれでよかったなと思える。ちなみにタイでもその2つのアプリで充分だった。
スリランカへ入国するに辺りビザが必要であったのでネットで事前に取った。
当然オール英語で訳分からんちんだったので、色々調べていたら日本の会社を仲介してとれるとあったのでそうしようと思い調べたら倍以上の額を取られると。
また調べていたらその英語サイトでのビザの取り方を日本語で説明してくれているありがたいサイトがあったのでそれに頼り無事取ることが出来た。
このサイト。お世話になりました。ちなみにビザ代は30ドル。
また今回の旅はスリランカ航空にしろ、タイ航空にしろ、エアアジアにしろ全てiphone
にメールで送らてきてそれをセブンネットプリントで印刷し紙ベースで持ち歩いていた。今回のビザもそれと同じ。引き落としは全部クレジットカード。
どうしよう。。。持ち物とか書こうかな。。。いや一応書いとくか。
スリランカへ持っていった荷物はリュック2つ。
いわゆるバックパックと呼ばれる(70L)と普通のリュックサック。
基本的にはバックパックを後ろにリュックサックを前にという形で歩いていた。
宿に着いたらバックパックは部屋に置き鍵を閉め(今回は甘えたことに全部個室であったので)リュックサックだけで歩いていた。
中身は基本殆ど着替え。Tシャツやズボンなど7、8着持っていったのでパンパン。
後はもう携帯の充電器関係やドライヤー、薬。。。忘れたがとにかく必要だと思ったものをとりあえず詰め込んだ。あ、カロリーメイト!これは途中で役立った。
それとwifiは今回「イモトのwifi」をレンタルしていった。
スリランカだとおおよそ一日1280円。3Gのものを選んだ。
3G WiFiプラン|海外WiFiレンタルなら【イモトのWiFi】
基本的にリュックサックだけで移動するときはこのレンタルwifiと携帯式充電器と地球の歩き方と飲み物を入れていた。うん、だんだん思い出してきた。
まあ出国前の状況というのはこんものでしょうか。
おそらく書いていく内にまた色々思い出すと思うので随時書いていきたいと思う。
ひとまず前置きはこんなもので。
まだスリランカどころか成田空港にすら辿り着いていない。。。
その1終わり