別れ
今朝、直属の上司の訃報を受けた。
2年間、本当によく面倒を見てくれた人であった。
よく怒鳴られたし、散々口答えもしたが会社員としての鑑の様な方であった。
しょーもねー、つまんねーと個人的には思っていたが、組織人として、会社員としての個人の在り方をよく理解して体現している方であった。
常に「個」ではなく「組織」を意識して行動していた。
いわゆる仕事の出来る上司という存在であった。
組織人としての在り方を教えてもらった。
今後、俺がどう生きていくはまだ定かではないが役に立つであろうことをたくさん叩き込んでもらった。
自分の見られ方ばかり気にする(ある意味日本的な会社員としては正しいとは思うが)話す価値もない下らない奴が多い職場の中で信頼できる数少ない人間であった。
その上、自分の仕事観などは決して押し付けることはなくどこまでもフラットな考えを持っている方であった。
理知的な人間ではあったが、結局最後は優しい(厳しさを含め)所が信頼できる部分であったと思っている。
若いんだから沢山食え、とラーメンやトンカツにやよい軒とよく連れていってもらった。
いつだか2人で車に乗っている時「もし俺が死んでも誰でも対応できるように一通りの仕事を下の奴らには覚えてもらうからね」なんて話を笑いながらしてくれた。
組織人としてどこまでも正しい。
会社から野球のチケットを貰うかどうかの話をしていた時、「たまにはガキを東京ドームにでも連れていくか」といった時の優しさに心温まりました。
この人も父親なんだなと当たり前のことに気付いた。
何より心残りがある。
会社には伝えてあるが、俺が辞めることを直接伝えてお礼を言えていないことだ。
今度の飲み会の席でちゃんと伝えようと思っていた。
悔いが残る。
「人はいつか死ぬ」だからなるべく思い残すことのないよう楽しく生きようと息巻いていたのはどこの馬鹿だったかな。
結局こうして後悔を残すこととなってしまった。
今日の今日でいきなりご冥福をお祈りしますなんて、身近な人のことに関しては中々言えないが自分的に故人を偲ぶ意味を考えて書くことにした。
俺が今、何を思っているのか残したくなった。
自分事ではあるが2年半前に鼻の手術を受けて以来、2年前からどうも鼻の構造がおかしくなってしまった。
色々と診てもらい色んな方の見解をきき、大方の原因は分かってきたのだが中々快方には向かわない。
粘膜を取りすぎたせいで、数年かからないと粘膜は再生しないかもしれないとも言われた。手立てが無ければ数年はこのままかもしれない。
調子が悪い日には呼吸がし辛くなることも多く、飛行機に乗ると航空性副鼻腔炎といって頭が痛くなるようになってしまった。ここ2年飛行機には乗れていない。
病気というわけではないのだが正常でないことは確か。
健康を損なって初めてそのありがたみが分かることを痛感している。
当然諦めることもなく日々色々試してはいるのだが中々精神的にきつくなることも多々ある。
誰にだって他人には言えない悩みがあるだろう。
他人には出来て自分には出来ないことがあるだろう。
諦めることもあるだろうし、諦めきれないこともあるだろう。
自分が出来る範囲で考えて精一杯やるしかない。
当たり前は簡単に当たり前でなくなる。
今生きれているとこに感謝をしようと素直に思う。
時間はあると思っていたらあっという間に無くなる。
今を生ききるしかない。