為替とは

為替について淡々と書くと見せかけ色々書いていく姿勢

生誕9000日を迎えて今思うこと

今から取り散らかっている雑記を書く。

 

 

先日あるネット記事で生誕10000日に関する記事を読んだ。

 

大体27歳と4ヶ月と何日かで訪れるらしい。

 

今、自分は何日生きてきたのだろうと漠然と疑問に思い生誕後の日数を調べられるというマニアックな、しかし物凄く役立つサイトで調べたところ8990日経過していた。

ついでに家族の分も調べ家族ラインに連投しておいた。

 

見た通り区切りのつく近い日が9000日であり、昨日が丁度その日だったので何かにつけて「俺、生誕9000日だし」と言いながら馴染みのラーメンを食べに行き、気になっていたカレーを買い、動物園で奇妙な猿達を見て楽しみ、アメ横を食べ歩きしてせわしなく過ごした。

雑な日記である。

 

 

次の節目である10000日は元気に生きていたら2020年の11月9日らしい。

その日に何をしようというより、その日までに何を成そうと目標をたて過ごす方が建設的だと思っている。

 

 

俺は年齢が好きである。

年齢が好きであるというのは語弊があるが、年齢を何となく意識しながら生きている節がある。

特に20代に突入してからよく考えるようになった。

 

 

自分が何もなし得ていないことに漠然と気付き始めてしまったからなのかもしれない。

 

 

 

最低限やらなければならないこと、またやりたいことをやるためにやらなければいけないことを除き、10代の後半から21.5歳くらいまで好きなことのみをやって生きてきた。

特に先のことを深く考えず何となく生きていた。

今も気をぬくとすぐ何となく楽に生きてしまうのだが、当時はもうろくに税金も払いもせず家庭に寄生して自立することなく暮らしていたので今より酷かったと思う。

やりたい放題とはまさにあのこと。

そしてこれもまたベルトコンベアー式に就活に臨み何やかんやで22歳を迎えていた。

自分なりに試行錯誤しもがいた一年であったが海外を小一人旅しモヤモヤしていたものは何となく晴れた。

 

そして新たな目標というか欲望が続々と生まれた。

情報は欲望の源なりとはまさにこのこと。

がっつり色んな国を回ってやる。

そのためにひとまず働こう。今は金が無さすぎる。

小銭が必要だ。

そしてどこへ行ってもそれを増やせる技術を身につけよう。

雇われて生きるのは窮屈だ。「自由」に対して挑戦しよう。

英語の勉強も再開しよう。

もっと話したい。聞きたい。

他国のことも勉強しておこう。

「関心」と「知」さえあれば何でも楽しめるはずだ。

 

 

23歳を目前に新たな決意であった。

 

 

 

正規で働き始めすぐに23歳となった。

この頃からより年齢を意識し始めた気がする。

 

初海外一人旅の時、自分の英語力に愕然としたことが大きかったのだと思う。

センター試験に備え高校3年の一時期だけ単語と文法を詰め込んだがそれ以来、特に勉強もせず聞かず話さずなので喋れなくて当然なのだがそれでも「もしあれから4、5年英語を勉強し続けていたらどうなっていただろう」という後悔の念が押し寄せてならなかった。

そしてその時に「18〜23まで好きなことばかりして結局何も残ってねーな、、、好き放題する5年間は何も残さないことを学んだしこれからの少なくとも5年間は何かを身につけよう。。。そうだなやはり目先の興味関心が大きい『小銭の利殖の方法』と『英語力』だな、そこに注力しよう」と決意したのは覚えている。

 

心機一転決意ほど無駄なこともないんじゃないかということが分かってきた23歳と4ヶ月の節目にはあーもう20代も三分の一が終わったんだなあと何ともいえぬ焦りを感じながら感傷にふけっていた。

出来る限りの時間を小銭の利殖の方法と英語に費やせたかと問われると全然出来ていないというのが正直なところである。

一応自分なりに毎日の積み重ねはしたつもりだがまだまだ出来た余白はいくらでも見つかる。

結局、自堕落的に過ごせる時間なんぞいくらでもあるし環境を変えないことには何ともならない性分であるということを痛感した。

モチベーションの波も激しいし。

あくまで「昔」に比べるとマシになったがこの2年を振り返っても「まだまだ出来た」余白だらけだ。

後悔して決意をしてもこのザマだ。また後悔が残る。

 

 

そして更に月日が流れもう25歳がぼちぼちと迫っている。

この2年間で実感して学んだのは雇われていようといまいとその人次第で精神的には幾らでも自由になれるということだ。

 

 

 

2年前に立てた目標というか欲望のために充てた時間は決して満足のいく質ではなかったが、いよいよ目標が現実味を帯びてきた。

少しは英語に慣れただろうか。

小銭は少し増えた。

イムリミットである。

機は熟した。

 

 

 

 

 

話がかなり逸れ主題が変わってきたがこのように俺は年齢というものを中々に意識しながら生きているし自分の好きな人や興味のある人が幾つの時に何をやっていたとか1人夜な夜な調べるのも好きである。

 

というわけで27歳と少しになって10000日を迎えるであろう自分に対し理想はあるわけだが、理想や目標を口に出すと人はそこに向かうやる気がなくなるとの研究結果を聞いて以来、口外するのは極力控えているのでここには書かない。

じゃさっきのは何故書いたのか。

もうやるからである。

もうやることに関してはただの「予定」なので別に口外しても良いのだ。

というか「予定」に関してはむしろ周りの人達には伝えるべきだ。

 

まだ出来るかどうか、届くどうかかなり微妙なものに関しては自分の心の内に閉まって置くこととしている。

マイルール。

黙々と進むべし。

 

元々「あえて発言して自分にプレッシャーをかける」的な動機付けは苦手だし。

 

 

 

『年齢学序説』という俺の好きな博多華丸が書いた本があるらしい。

この間その存在を知りkindle版が無かったので現物を注文したがまだ届かない。

amazonのマイページではお届け済みになっているのにも腹立つ。

出店先とも連絡がつかない。

 

一体いつになったら届くのだろう。

早く読みたいしそもそも色々面倒だから俺の生誕10000日までにはkindle化を望む。

 

 

俺の今後にワクワクが止まらない。