為替とは

為替について淡々と書くと見せかけ色々書いていく姿勢

優位性

為替含め投資をやっていると優位性という言葉と頻発に出会う。

 

 

優位性とはつまり業界でいう確率。

 

 

確率の高い方向に張ることを優位性のある取引という。

 

 

 

よく「FXなんてギャンブルじゃない?」と言われる。

 

 

一応ギャンブルをコトバンクで。

 

賭(か)け事。ばくち。

 

らしい。

 

 

そう言われると優位性のある方に賭け続けるFXは確かにギャンブルかもしれない。

 

 

問題は優位性のないギャンブルをすることであって優位性のあるギャンブルを理解出来たら何の問題もない。

 

 

理解出来ても行動することの難しさたるやと言う話になるが今回は省略。

 

 

そう、つまり優位性のある取引をし続ける事が出来れば複利の恩恵も受けて倍々方式で資産は膨らむ。筈だ。

 

 

しかし

 

 

中々それが出来ない。

 

 

 

しばらくすると、と言うより優位性のある取引ってなんだ?根拠はあるのか?という問題にぶち当たる。

 

 

 

これがまた困難を極める。

 

 

 

何となく答えみたいなのは知っている。

 

 

 

量と質の結果導き出される独自の手法だ。

基本的なことだ。

 

 

 

自分の取引をよく分析して過去をよく検証し(質の部分)たくさんの正しい経験を積むこと(量の部分)。

 

 

そう。

とても地道なことだ。

 

 

連日連夜自分の弱い部分と向き合い続け改善し行動し続けなければ優位性ましてや独自の手法なんてものは見えてこない。

 

 

これがまた辛い。

 

 

 

逃げたくもなる。

たまに逃げる。

 

 

 

しかし、1日の量や質が理想に及ばないものでも「日数」がそれをカバーする。

 

 

 

次第になんとなく見えてくる。優位性が。独自の、自分なりの手法が。ぼんやりと。

 

 

 

そして理屈から生まれ自分のものとなり始めた手法をぼんやりと理解し始めた頃こんなことを思う。

 

 

 

このままじゃダメだなぁ。

 

 

 

思うように勝てない。

たまにやらかす。

進むスピードが遅い。

 

 

これは一概に優位性の話だけではなく単に損切りが遅いとかリスクリワードミスってるとか資金管理間違えたとかメンタルの話になってくるのだが。

 

 

 

多分、皆分かっている。言葉や理屈では理解している。

「あぁ損切りしないと。。。」

レバレッジ張りすぎだよなぁ。。。」

ナンピンして証拠金維持率がヤバい。。。」

 

 

そもそものエントリーポイントであったり往往にして理由はあるだろうけど、結局理屈重視の手法を用いた取引でもメンタルで負けることになる。

 

 

 

 

じゃあメンタルを鍛えればいいのか?

 

 

うん。

そうだ。

 

 

ある程度メンタルを鍛える。

相場に対する正しいメンタルを染み込ませなければいけない。

 

 

これもとても時間と根気の要する作業だ。

 

 

中々出来ない。

 

 

しかし手法の確立と共通して、何となく見えてくる。

理解していたことを何度も出来ない自分を責め何となく身に付いてくる実感が湧いてくる。

 

 

そしてこんなことを思う。

 

 

 

このままじゃダメだなぁ。

 

 

 

 

俺は今ここだ。

 

 

 

手法にしろメンタルにしろ発展途上。それも初期段階。

 

 

 

ここでまた思う。

 

 

つまりこれなんじゃないかと。

 

 

 

 

答えもなければ必勝法もない矛盾だらけの相場に対して大切にしなければいけないことはこれなんじゃないかと。

 

 

 

メンタル、手法、姿勢。

大事だ。凄く大事。

 

 

 

 

そして

これら全てを含めて「相場」というものと相対する自分という人間そのものに優位性がなければならない。と。

 

 

 

これが俺の現段階の着地点だ。

 

 

 

手法を超えた話だ。

メンタルともまた違う話。

 

 

 

 

矛盾の世界だ。

相場は矛盾だらけだ。

そして相場は唯一常に正しい。

 

 

相場で生き残っている人間が正しいのではない。

 

 

一見必勝法の様に見える相場に対して正しくあり続ける手法。

つまり「優位性」を重視した取引を続ける。

これだけじゃ長いこと生き残れない。

何となく分かってきた。

 

 

 

全てを含めて相場に対して優位性のある自分であり続けなければいけない。

 

 

馬鹿みたいな話になってくるが第六感が働いてくるようにならないといけない。

 

 

 

結局、感かよ。と。

 

 

 

そう。

感がとても重要なのだ。

理屈の後の「感」が重要なのだ。

 

 

 

理屈で語られてる優位性とは真逆のことように聞こえるが感こそ生死の境目を決める。

 

 

その「感」がただの「感」ではなく優位性の伴なう「感」になるまで正しい量と質の行動は続けなければならない。

 

 

そしてようやくスタート地点に立てる。ような気がする。

 

 

そう考えると俺は量も質もまだまだ。

 

 

こんなもんじゃないんだろうなぁと思いながらも理想の量と質に追い付かない日々を送っている。

 

 

「感」も働くがまだまだ、ただの「感」であり優位性の伴う「感」は養われていない。

ましてやその前段階である手法もメンタルもまだまだ理想とは程遠い。

 

 

 

圧倒的に足りない。

チンカスである。

 

 

あらゆる思考、姿勢、行動、経験を通過した後の「相場に対して優位性」がある俺になる日はまだまだ遠い。

 

 

 

もう終わり方が、分からない。

 

 

終わり。