スリランカその4・コロンボでの一日
2016年2月16日
騒々しいクラクションが良い目覚ましになった。
昔コロンボで住んでいたマンションを思い出した。
泊まっていた2階の窓を開けるとヤシの木と雑多な車がクラクションを鳴らしている光景。
そうそうこれこれと何度も頷く。
着いた時から何かにつけ、あースリランカに来たんだなと思い続けていた。
もう2度と来ることもないと思っていたし長い間来たいとも思っていなかった。
色んなことがあったなぁとか思った。
色んなことじゃ形容しきれねーわ!と1人で突っ込んでいた。
そりゃ当時小学生が大学生も終わる頃になってるんだもの。色々あって当然。
外に出て宿の若い連中と一服しながら適当に雑談していたら昨日迎えに来てくれた本来泊まるべき宿のオーナーがまた迎えに来て来れた。
時間通りに来て少し驚いた。
本来泊まるべきはずだった宿に連れて行かれるとヨーロッパ系の顔立ちをした子連れ家族が庭でのんびりして居た。ロングバケーションというやつなんだろうか。羨ましい限り。
吹き抜けの居間に朝飯を用意してもらっていた。
焼いたパンとすごく甘いジャムと紅茶。
ちなみにスリランカ朝飯は何故かどこもこのスタイル。
日本で言うところのご飯味噌汁漬物的な感じなのか分からないけどとにかくこれを食べ続けた。
食べ終わった後しばらく庭で一服しながらボケっとしていた。
猿がいたのでひたすら眺めていた。
「今日はどこに行くんだ?」とオーナーが聞いてきた。
「昔通ってた学校と住んでた家を見に行きたい」と俺。
「じゃあトゥクトゥクを呼ぼう」とオーナー。
少し待って呼んでくれたトゥクトゥクの兄ちゃんにコロンボ日本人学校の住所を伝える。
「オッケー任せろ」と向かうもいいもはっきりした場所が分からなかったらしく信号待ちの度に隣のトゥクトゥクの兄ちゃんに尋ねまくっていた。
今回のことを通して感じたがスリランカ人、皆他人と距離が近い。
分からなかったらすぐ聞くしすぐ教える。
なんの違和感もなくそれをやってのけることすら俺からしたら新鮮。
文化の違いというやつでしょうか。
色々迷いながらようやく到着。
校舎裏の守衛へ声をかける。
昔、通ってたことを伝え中に入りたいことを伝えても通してくれない。
守衛のおっさん3人は怪しみながら俺に何故入りたいのか聞いてくる。
何故と聞かれても困る。
特に理由はないし、強いて言うなら昔通ってた学校を少し見たいだけだし、理由にもならない。
え、つーか分からないこの気持ち?!
とまぁ軽く感情的になりながらもとにかく中の日本人先生へ繋いでくれと頼む。
それすらも拒む看守達。
親の友達が先生やっているんだと遅めの嘘をつく俺。
何故か信じて素直に繋いでくれる看守。
よし、日本人と話せれば何とかなる。と意気込む俺。
日本でも使わないような丁寧語で事情を説明する俺。
快く受け入れてくれた日本人先生。
ようやく裏門が開かれ入っていく俺。
疑いの目で見送る看守達。
とまぁこんな流れで何とか学校の中に入れてもらえた。
出迎えてくれた女の先生、申し訳ないけど名前忘れてしまった。本当に多謝。
もう一度色々と事情を説明すると今は授業中だから好きなだけ学校の中見ていって良いですよと先生。
一通り学校の中を見させてもらったが全然懐かしくない。
それもそのはず。
俺が日本に帰ってくるタイミングでスリランカコロンボ日本人学校は新校舎に移動していたから。
実質この新校舎に通ったのは数日しかなかったわけで空き教室の中からなんとなくひたすら外を眺めていた。
面影のあるバスケットのリングは15年前、俺が散々遊んでいたものだった。
校舎の正門側には当時旧校舎から移る生徒達が書いた絵がタイル張りに貼られていた。
俺の絵もあり、当時の同級生のものもあった。
俺の兄貴のも家族ぐるみで中良かった人達のも全部あった。
こんな絵書いたっけなぁと全然覚えてなかったけどとにかく懐かしさ全開で写真を撮りまくった。(右下が俺の)
授業が終わって他の先生とも色々な話をした。
何を話したのか特に覚えてないが勝手に充分に懐かしんだ後、旧校舎の住所を教えてもらい先生方に御礼を伝え学校を出た。
尚、猜疑心丸出しの看守達の視線受けながら一礼をし、さぁトゥクトゥク捕まえるかと大通りに出た瞬間なんとさっき宿から送ってくれたトゥクトゥク運ちゃんが待っていてくれた。
「まだどこか行くんだろ?乗ってけよ!」
とまあなんだこの良い奴と思いながらまた乗っけてもらった。
先程教えてもらった住所を伝え、いよいよ自分が通っていた旧校舎を目指すことに。
近づくにつれ風景が様々なことを思い出せてくれた。
バクバクしながら場所に着くと、そこは大きな民家になっていた。
隣の家の人の話では何年か前に取り壊しになり新しい家が建てられたとのこと。
喪失感というか焦燥感というかなんだか寂しい気持ちになりながらも五分くらいそこで立ち尽くしていた。
良い時間だった。
トゥクトゥクの兄ちゃんに礼を告げて歩いて周りをぶらぶらした。
昼飯を食べてないことに気付き、街中の食堂に入った。
食べていると「日本人ですか?」と30代半ばくらいであろう女性に声をかけられた。
思いっきり日本語が書いてあるTシャツを着ていたのでばれたらしい。
この時点でまだ日本を発ち2日と経っていなかったが先ほどの日本人学校同様、日本語で滞りなくコミュニケーションを取れることが嬉しくお互いの経緯や事情を話した。
女性は半年程コロンボに住みアーユルヴェーダ(スリランカの伝統的なオイルマッサージ)を勉強しているとのことで、日本に帰ったら神奈川で店を開く予定だと言っていた。
コロンボに来たら行きたい場所がもうひとつあった。
よく行っていたスーパー。
名前は忘れたけどその女性に「ここら辺で大きいスーパーありませんか?」と尋ねると「アルピコのこと?」と。
名前を聞いてテンションが上がった。
「そうそれそれ。よく行ってたんですよそのスーパー」と伝えると近いから案内するわねと言ってもらい案内して貰った。
連れてってもらい女性とはそこでお礼を告げ別れた。
店内を写真を撮りながら練り歩き「懐かしいな~」なんて言いながらビールと煙草を買って外に出た。
なんだかバスの運転手達が路上に座り込んでたむろしている場所があったのでそこで一緒にぼけっと一服していた。これもまた良い時間だった。
ちなみにスリランカの主流はこのライオンビール。
日本のラガービールをよりこってりさせた感じ。
さぁそろそろ行くかと思いトゥクトゥクを停めた。
目的地はひとつ。
「ゴールロード沿いのマクドナルドへ連れて行ってくれ」
ちなみにスリランカで乗るトゥクトゥクの値段は全て前交渉で決めていた。
日本人と分かれば、向うも吹っ掛けてくるのが当然。
大体1kmごとに50ルピー₍当時のレートで40円程)と事前の調べで知っていたのでgoogle mapを見せながら値段交渉をした。
コロンボを走るトゥクトゥクはメーターが付いているのも多かったがメーターをいじっているドライバーもいるので全てのトゥクトゥクを前交渉で乗ることにしていた。
当然といえば当然か。
目的地に連れて行ってもらった。
マックに着き適当に路肩に停めてもらい降ろしてもらった。
あの時、俺相当ニコニコしていたと思う。
目の前にある建物。
15年前、俺が2年間住んでいたマンションがあった。
今回、俺がスリランカに行くということは当時よくしてもらいっていたマンションのオーナーに父親経由で伝えてもらっており、俺自身もメールで今回行くことを伝えていた。
とても楽しみに待っていると言ってくれたオーナーに再会するのも今回の目的の1つであった。
ワクワクも最高潮に達しながら、マンションの中に入った。
守衛のおっちゃんに「スラジ(マンションのオーナーの名前)に会いたい」と伝えると怪訝な顔をされる。
「誰だそれ」と。守衛のおっちゃん2人で話始める。
おいおいマジかよと思いながらも色々話していると、「分かったじゃあ付いてこい」とおっちゃん。
案内されたのはマンション7階の事務室でそこにいた女性がようやくオーナーのことを知っている人物であった。
ちなみにこの時7階までいったエレベータこそ当時毎日乗り降りしていたものであり、状況がゴダゴダしていたものの、その匂い、音、湿気にテンションが上がりまくっていた。
その女性にまた別の事務所に行くよう指示された。
そこはマンションの隣に設置されてある平屋の事務所であり、そこに入ると太ったスーツを着たスリランカ人男性が迎え入れてくれた。
明らかに英語が聞き取りやすいし(他のスリランカ人に比べ)、スーツを着ていることもあり少しかしこまったがとても温かな対応をして頂き安らいだ。
ソファに案内してもらい紅茶を出して貰った。
その男性はオーナーの部下であるらしく今日俺が訪れることもオーナーから聞いているとのことで優しく対応してくれた。
小さかった頃の俺や兄貴のこと、また当時の父親や母親のことも覚えていてくれて色々と話をしてくれた。
「オーナーはあいにくミーティング中なんだ」と伝えられ何時頃終わるかと尋ねると分からないとのことだったので、少しその事務所で休憩がてら待たせてもらうことに。
目の前の海にある堤防でぼけっとし懐かしんでいた。
しばらくするとミーティングを終えたオーナーが戻ってきた。
15年ぶりの再会である。
俺がまだ小さかった頃も良くしてくれた記憶があるし、小さいながらもこの人優しいなと思えたということは相当優しかったのだろうと成人した今、思う。
積もる話もありつつも次の仕事が控えているとのことでオーナーは急いでいるらしく「今夜ディナーに行こう。迎えに行くから住所を教えてくれ」と伝えられ住所を伝えると、その時間まで宿で待っていてくれと送ってもらえる車とドライバーを手配してもらった。
至れり尽くせりであった。
感謝を告げ、俺はその車で宿まで連れて行って貰った。
宿に着くと興奮の疲労から爆睡してしまい、次に目が覚めたのはオーナーが迎えにきた時であった。
オーナーの車に乗せてもらい海辺のレストランに連れて行ってもらった。
まともな食事にありつけられたし、何故かビールがピッチャーできた。
若いから沢山飲むだろうと。日本のおばあちゃん的な優しさがあった。
なんか火の棒で踊る人。
俺の拙い英語を必死に聞いてくれながら昔話を色々とした。
ニコニコしながら話を聞いてくれたし俺に分かりやすいような英語で話してくれた。
優しさが身に染みた。
大分ベロベロになった頃にさーそろそろ帰るかとドライバーを呼んでもらい宿までまた返して貰った。
オーナーに何度もお礼を告げ、泥のように眠った。
濃く充実した1日が終わった。
その4終わり