為替とは

為替について淡々と書くと見せかけ色々書いていく姿勢

東日本縦断〜青森〜函館〜ニセコ

2018年6月27日

東日本縦断最終日

 

最終日の朝は八戸のホテルから。目的地は北海道ニセコ町

大間から函館から渡るフェリーの時間が14時台であったので早めの行動を心がけ9時頃起きる。

同じ県とはいえ八戸から大間まで3時間もかかるのだ。

途中この旅3度目の給油をする。

ニセコまで足りそうだったので満タンにはしない。

 

 

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津軽海峡。もう海くらいしか見るものがない。

津軽海峡まじまじと眺めるのも初めてかもなぁ。曇ってるけど。

 

フェリーの時間まで多少時間があったので本州最北端の岬へ。

もっと時間があれば恐山も行きたかったところ。

 

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途中めっちゃ見てくる牛に会う。

 

本州最北端の画像撮ってなかったがめちゃくちゃ寒かった。あと俺しか人が居なかった。

 

腹も減ってはいたがフェリー乗ることもあり我慢しておいた。この選択がのちに英断となる。

 

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駐車場にて待つ。

時間が来ると順番に案内される。

 

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フェリー代。一匹と一台で11800円。

ネットで先割的なキャンペーンに乗じて安く済んだ。

 

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こんな感じで駐車場に停める。

バックだけ取り出し客室へ。

人が割といたので写真は控えたが雑魚寝するスペースがたっぷりとあった。

 

船内にwifiが飛んでいたので調子に乗りyoutubeを観まくっていたらちゃんと船酔いした。この日はかなりの強風に天候も悪かったのも重なりぐわングわんとしていた。

しかしこの日は水分以外特に摂取していなかったのでリバースは回避された。

ちなみに2年前、那覇から久米島へフェリーへ向かった時はリバースした。

 

船酔いのまま一時間半ほどで函館に到着。

何とか車を発進させ蔦屋書店に向かう。

 

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昨年も寄った函館蔦屋書店。

蔦屋書店オタクの俺にはヨダレもの。

 

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中も圧巻。

何日も居たい。

 

蔦屋書店のおかげで船酔いも大分落ち着きモノも食べれそうだったのでラッキーピエロに向かう。

 

 

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ラッキエッグバーガー。390円。

ボリューム、味ともに大満足でコスパ最強。

昨年はチャイニーズチキンバーガーを食べたがこっちの方が好み。

 

一息ついたことろででラストランへ。

函館ニセコは間は国道5合線をひたすら北上する。

 

途中セイコーマートに寄りながら日のくれた山道をひたすら走る。

 

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夜8時。北海道ニセコ町に着く。

埼玉県毛呂山町〜北海道ニセコ町まで、実に1300キロ。

下道のみで来たので山道が多く途中完全に無感情になることもあったが何とか楽しめた方だと思っている。

車中曲は主にミッシェルとムックとヒデ。ニルバーナとレッチリ

高校生の頃よく聞いていたラインナップを再ヘビロテしていた。

 

この車とも今月末でお別れすることになっているので何とも感慨深い。

 

 

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到着後、祖母の手料理に癒される。

 

 

終わり。

山田哲人になれなかった俺たち

タイトルにハっとした人だけ読んでほしい。

 

 

俺たちは俗に言う山田哲人世代だ。

 

 

大谷翔平世代とも言おう。

 

 

一個上が山田で一個下が大谷だ。

どちらもスーパースターの同世代だ。

他にもスターは沢山いるし世に出ていないだけで隠れスター、ましてや潜在的なスター候補も同世代にはわんさかいるだろう。

 

 

しかしここは山田哲人世代と言っておこう。

理由は言わずとも分かるだろう。

何故なら俺たちは山田哲人世代だから。

 

 

 

そう、俺たちは山田哲人世代なのだ。

そして山田哲人になれなかった大多数にいつのまにか俺たちはなっているのだ。

 

 

脱却は可能か?

勿論可能であろう。

まだまだ全てを悲観する年齢でもないという自負が俺たちにはある。

 

 

しかし俺たちは確実に山田哲人になれなかった。

それが何より俺たちを俺たちたらしめる事実なのだ。

 

 

人は個性が。。。人それぞれ。。。オンリーワンの。。。

そんな野暮なことは百も承知だ。

とにかく山田哲人になれなかったのだ。俺たちは。

 

 

一応弁解しておくが別に山田哲人本人になりたいわけじゃない。トリプルスリーを3度手中に収めかけている彼になりたいわけではない。

そういうことではない。彼には引き続き頑張って頂きたい。

ここまで読んでくれてる人の中にそんな野暮なこと言う人は居ないと思うが。

 

 

俺たち同世代の中に一人一人、それぞれの山田哲人がいる。山田哲人像が君臨するとでも言おうか。

 

 

 

そんな俺たち一人一人の中にある山田哲人と、時には話しながら時には共に笑い、時には共に涙を流し、時には言い合いもしながら俺たちは日々を生きている。

 

 

 

山田哲人になれなかった俺たちは明日も元気に生きる。

山田哲人も元気に打つ、走る、守る、生きる。

 

 

 

何が言いたいか分からないでしょう?

俺も分かりません。

 

 

 

1つ分かっていることは俺たちは山田哲人になれなかったということ。

そして今日も幸せな1日を過ごせたということ。

東日本縦断〜岩手〜青森〜

2018年6月26日、4日目の朝を気仙沼で迎える。

 

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着いた時は暗くて全貌がよく見えていなかったが、随分可愛いところに泊まってしまった。

奥に見える緑色の建物が前日に語り明かしたロッジ。

 

外で歯を磨いているとオーナーの伊藤さんも出てきてまた色々と話をする。

じきに伊藤さんの彼女さんも帰ってきて3人で話し込む。

 

 

 

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伊藤さんが冷蔵庫から謎の物体を取り出してきた。

本当に初めて見たので全然分からなかったがホヤだという。うん、食べたことはある。でも見たのは初めてだ。

 

さばいて味見させてくれた。

 

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苦味もあり甘みもありコクもあり。。。これを初めて食べようと思った人は偉大だなあと思った。

 

何だかんだとお昼を回ってしまったので流石に出発することにした。この日はロングドライブなのだ。

お世話になった森のコテージを後にし、向かうは青森県

海沿いを行っても良かったのだが防波堤ばかりで望んだ景色は見られないと伊藤さんから聞いていたので内地側を通ることにした。

 

 

出発をしてすぐにこの旅2度目のガソリン給油。4000円ほど。

車を走らせ始めるとすぐに「ここまで浸水地域」の看板にいくつも出くわした。

気仙沼を出て程なくして陸前高田に到着。

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時間的に奇跡の一本松へは寄らずに追悼施設へ。

 

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中に人は誰もいなかったのでゆっくりと館内を見回った。

当時の状況から復興の状況まで小一時間ほど勉強した後、黙祷を行い出発。

 

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沢山のことを思い、考えた2日間だった。

宮城県岩手県の今を目の当たりにしてとても良い勉強になった。

この時感じた想いを胸に自分の人生を生きようと再決心した。

そしてまた来るのだろうなと思った。

 

 

陸前高田から車を走らせること2時間。盛岡着。

同じ県内なのでそんな遠くないだろうと勝手に思っていたが思いの外時間がかかった。

かなりお腹が空いていたので冷麺屋を調べ向かった。

 

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市街地からは離れていてかなりレトロだが味は抜群とネットで書いてあったもりしげさんに来た。

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茶店のような入り口。

 

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レトロというかひと昔の中国感が凄かった。ひと昔前の中国行ったことないけど。

 

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牛骨ベースの出汁が効いていて爆裂美味かった。

ツボに入っているキムチを冷麺の中に入れて自分で辛さが調整できるとことも良かった。

 

 

食べ終わり、この日の目的地まで八戸までひた走る。

山道ということもあり、やたらと長く感じた八戸までの道中。一戸、二戸とかなりの戸を経て八戸へ。まずホテルへ。

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普通のビジネスホテル。

楽天トラベルの割引を使って3000円で宿泊。この4日間の宿泊料の合計は1万くらいで済んだ。

 

八戸が誇る飲屋街がホテルから近かったのでコンビニで発泡酒を買い、飲み歩きながら向かう。

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みろく横丁。

雰囲気満点。

こういう所は1人じゃなくて知り合いと来た方がも面白いよね。

缶チューハイを追加しながら飲屋街を歩き回る。1人ならではの楽しみ方。

長距離運転の後の酒は何にせよ美味い。

 

 

眠くなって来たので小一時間ほどでホテルに戻る。

マツコの知らない世界で札幌の美味しいラーメン屋の情報を得てダラダラ動画とかを観て寝た。

 

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4日目終了。走行距離227キロ。

東日本縦断〜宮城県〜

結果から言うと

先週の水曜日、6/27に北海道に到着してから翌日に急性扁桃炎にて2日程倒されました。

無事回復し何もしない1週間を過ごしました。無職ライフはまだ始まったばかり。

縦断日記すっかり忘れてた。

 

 

前回の通り、縦断2日目は南陽市に一泊し翌3日目6/25に山形県から下道で宮城県へ。

仙台駅周辺を少しブラつきたかったので前日に調べておいた仙台駅周辺の安いパーキングを入力し出発。安いと言っても30分100円くらい。東京レベルでいえば無い安さだが埼玉レベルからしたら普通。

丁度2時間で100キロほど。

途中、笹谷峠という体感的にいろは坂を3倍くらい面倒臭くした峠を通ることになりガソリンを割と持っていかれた。

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折り返し地点からの景色。

この峠の時、本旅もっともリアクションをしていたので同乗者が少し欲しくなった。

自分で運転してこの方4年、初めて車酔いした。

 

 

仙台まで1時間切り、30分切り、15分切り中々都市になって来ないのでなんだここと思っていたが急に視界が開け突如現れた杜の都。人生初仙台。

 

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これにて日本の大型都市を札幌、仙台、東京、横浜、名古屋、大阪と制覇したことになるので残るは福岡・博多のみ。いつか行くんだろうな。

 

車を停めしばらく散策。

駅からロータリーを眺めた景色。

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上から見ると「デカい大宮」。下に降りて見ると「綺麗で控えめな新宿」

ロータリーの感じがね。

 

この2日前に埼玉県毛呂山町にてガストのチーズインタッチキン(チーズインタッカルビとは書いてあったがチキン)を食べて以来適当におにぎりとパンとお茶と酒しか摂取していなかったので味濃いもんが食いたくなり黒いラーメン。

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末廣ラーメン本舗。見た目ほど味は濃くない。

ラーメンチャーハンセットで1000円。

京都に行ったら必ず食べる新福菜館を源流に持つらしく確かに似た感じで美味かった。

 

なんやかんやと行きたいところ行ったりして仙台駅滞在時間は2時間程。

良いリフレッシュとなりまた出発。

 

 

 

ここから本旅のメインとも言える話ですけど震災系ダメな方、万一居たら止めてください。

現場では俺もなんかやたらと暗くなったけどあまり暗く書く意味もないしなるべく淡々と書いていきたい。

 

 

 

 

 

仙台を発ち目指すは石巻気仙沼地方。途中で本旅2度目の給油。

まだ少し余裕があったので満タンにしても3700円くらい。キューブなので元々そんなに入らないが。

 

 

仙台から石巻まで50キロ、1時間ほど。

あれですね、基本田舎は1キロ1分と言われる通りgoogle mapも基本50キロ60分で提示してきますね。信号ないから楽。

 

 

午後4時頃に石巻到着。とりあえず駅に向かってみる。

途中「がんばろう石巻まで数キロ」の看板があったので向かってみる。

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ここ石巻の南浜地区は道路挟んで海といった立地となっており町そのものが無くなったと言うことがこのマップにてようやく理解出来た。

まさしく当時テレビでよく見ていた地域。

海沿いの地域が更地となっていてクレーンしかないので、あーここら辺なのかなと思って車を走らせていたが自分が立っている場所も見渡す限りの景色も改めてそこが一つの町だったことを考えると背筋が凍った。

「がんばろう石巻」の看板は一月後に建てられたものらしく隣には献花台も。

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見上げるとここまで浸水の表示が。

こりゃ全然無理だ。と改めて間近に確認して声が漏れた。

 

 

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更地の中を歩き回っていると発見したが、あえてなのだろうか?

細かいゴミは多かったのでたまたま回収しきれていないだけなのか。

俺が1人一時間ほどウロウロしていても周りの工事関係の方々は見向きもしなかったのでこうして訪れる人も多いのでしょう。

改めて肉眼で確認すると人それぞれ感じるもが当然あるし、やはりあえて残しているのかな?とか色々考えながら歩き回った。

 

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2年後を目安にメモリアルパークを造園するとのこと。

 

 

 

今回、と言うよりもうずっと一度訪れねばと考えていたがやっと来れた。

当時俺は高校2年生で学校にいた。

夜まで学校の体育館にいたがたまたま父親が車で近くを通りかかったので帰れた。

帰りの車のナビでおにぎりを頬張りながらカーナビに映された一面炎の映像を見て「これ何の映画?」と思ったことは多分忘れないだろう。

 

個人レベルでいえば正解も不正解も何もないことなのだろうなと思う。

当事者の方から全く興味のない人まで日本中たくさんいることでしょう。

だからこそじゃあ俺はこう思う。のみで書こうと思う。

 

俺も何を今更と思った。正直。

当時、何もできず、何もやろうとせず、何を今更と正直。

じゃあこのまま一回も現実を直視することもなくお前は死ぬんだな?と自分が自分に聞いたところそれは違うと返答があった。だから今回来た。

それ以外何もない。本当に今更何をどうのではない。来たいから来た。

そして自分なりに現場を直視した。色々思った。

何になのか、誰になのか、自分勝手に涙が出てきた。

 

 

日も暮れそうになって来たので気仙沼へ移動。

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気仙沼森のコテージ。

今回一番良かった宿場であった。

オーナーの伊藤さんは本当によくしていただいた。

山の中にあり車、バイクがないと行くのは厳しいが清潔で、静かで、星が見えて最高な場所であった。

隣のコテージに泊まっていた20歳の専門学生とオーナー伊藤さんと夜は酒盛り。

夜中2時頃まで話が盛り上がりとても楽しい時間を過ごせた。

2人とも気仙沼の出身で色々な話を直接聞けたことも良い経験となった。

「訪れてくれる人がいることは嬉しい。だからこそ変に悲しみを誇張せず、日々自分の周りの大切な人々を大切にして欲しい。そしたら後悔はないから。」

この日、一番染みた言葉であった。

 

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濃い1日が終わった。

 

東日本縦断〜埼玉〜栃木〜福島〜山形

先日から東日本縦断中である。

埼玉県毛呂山町から北海道ニセコ町まで。実に1300キロ。

4泊5日の国内1人旅です。

 

今月23日に誕生日を迎えた。25歳になった。20代も丁度折り返しです。

 

とまあそんなこんなで2018年6月23日に出発したわけだがまずは福島県矢吹町に。

ちなみに今回は無料高速道路以外全部下道で行きます。

 

 

福島県矢吹町は21歳と23歳の時に二度行っているので今回は一年半ぶり3度目の訪問。

 

前回二回は電車で行っていたが今回は下道で。基本4号。200キロ。遠い遠い。

途中栃木県小山市で1回目の給油。今回はガソリン代との戦いでもある。

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3時頃に埼玉県の毛呂山町を発ったので夜8時頃に到着。

大学時代の旧友と再会し回転寿司で腹ごしらえ後コンビニで買い込み、宅サシ飲みを3時半までやった。誕生日に託けて気前よく奢ってもらった。

久しぶりで楽しかった。

そこからサッカーを観たいとか言い始めたので流石に寝た。

 

 

翌日二日目、6月24日は朝10時おき。

普段10時間寝るとフルポテンシャルになる俺にとってはだいぶ寝不足の中出発。

おなじみ福島特産の酪農カフェオレとクリームボックスを途中で買って食った。安定の美味さ。

旧友が福島市まで行く用事があると言うので途中まで乗っけていく。70キロ。

前日散々飲み明かしたくせに会話が止まらない。

 

福島市まで送り届けた後、俺は山形県長井市へ。また70キロ。

途中、東北中央自動車道にて福島大笹生から米沢北ICまで無料高速道路区間があり助かった。

降りてから30分ほどコンビニが無く25歳早々にお漏らしの危機に直面する。間一髪セーフ。

 

 

何故、山形に寄り道したのか。

山形県長井市には免許合宿で訪れておりもう一度来たいとは思っていたが中々機会がなく来れなかった。

特に何をしたいわけではなくただ行きたかっただけと言う理由でわざわざ寄り道をした。

 

当時の2週間は良い出会いもあり自分の中で大切な思い出となっている。

 

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当時泊まっていた宿名は思い出せなかったが通っていた音楽スタジオは覚えていたのでそこまで行き何となく辿り着けた。

ウィークリー的場。

宿を取るときに思い出せていたらここに泊まりたかった。

 

一通り懐かしみ長井市の隣、南陽市へ移動。

三代熊野と呼ばれる熊野大社があったので一応行ってみた。

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後光に照らされている。

 

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今後の健康と安全を祈っておいた。

 

宿へ移動。

じゃらんに登録されている宿とは違う住所にあり山の上であったので結構迷ったが何とか到着。アメリカンヴィレッジ南陽

とにかく安いと言う理由だけでとったが中々ハイカラなところであった。3600円。

 

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外観。室内は禁煙なので夜一服しようと外に出ようとしたら蛾やら小蝿やらゴキブリが群がっていたので断念しかけたがしばらく部屋の中を暗くしていたら去っていった。

 

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他にもコテージは何棟かあったが俺しか客がいなかったので車の中で聴いていたヒデのハリーメリーゴーラウンドをカバーして楽しんでいた。

夜飯はコンビニで酒とおにぎりを買ってきて適当に済ませた。

無理にご当地モノは食べずに節約の旅を心がけている。

 

風呂が付いていなかったがコテージの隣にハイジアパーク山陽というスーパー銭湯があったのでそこへ行った。露天風呂サウナも付いて500円。安い。

 

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身長からすると61くらいが適正体重らしいが自分的には57〜59くらいが丁度良い。

前日からそんなに量を摂っていなかったので55キロ台まで落ちてしまい少し焦る。

 

寝る前にトイレでゴキブリを二匹発見したが瞬殺して寝た。

 

 

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二日間あっという間に終わった。

恐怖、不安、迷い

平仮名で書くと随分可愛く見える。

きょうふ。ふあん。まよい。

 

 

仕事を辞めることが決まり退職日がもう間近に迫っている。

家の片付けや税金保険の手続きをしてると現実味がグッと増してくる。

ここ2年、安泰した会社員生活では味わえない恐怖、不安、迷いを早くも味わっている。

 

 

 

気持ちが良い。

 

 

 

これからどうなるか全く分からない、という点では就活をする前の大学3年時とあまり変わらないのだが1度でも会社員を経験した後とその前では明らかに考えることも思うことも違う。

 

1度でも会社員になった人間はもう会社員を経験したことがない人間には戻れないのだ。

当たり前のことだがこれがまた自分の中では割と大きいのだなとひしひしと感じている。

 

 

今、旅に出たい。出るべきなのではないか、いやいくら衝動が大事とはいえ経済的にももう少し蓄えてからでも遅くはないのではないか?と葛藤した22歳と、俺は行くと決断した24歳現在とでは。

 

 

知らなかった世界を知り、経験したことなかった生活を経験し、出会わなかった人達と出会ったこと。

 

 

これが間違いなく今の恐怖、不安、迷いの根源であると思っている。

 

 

しかし恐怖、不安、迷いがくることは想像の範囲内であるしむしろ歓迎している。

 

 

今までの安泰した幸せな生活を手放すこと、これからの安定した給与を手放すこと、今までとはあらゆることが変わっていくこと、環境が変わること。

今後、何の保証も無いこと。

 

 

これに対する恐怖、不安、迷いを排除することの方がそもそも無理な話なのだ。

 

 

 

そして最も大事なことはこれは俺が俺に対して勝手に妄想させている幻想にしか過ぎないのだ。

 

 

危険なことは確かに危険であるのだろう。

極寒の中、裸で何時間も居させられたら間違いなく絶命するであろうし最中、幾千もの恐怖、不安、迷いを感じるのであろう。

しかしそれはもう間違いなく危険であると確固とした事実からくるものであり今俺が感じている事とは質が違う。

 

 

危険であるという事実と、恐怖、不安、迷いを感じているという妄想を一緒にしてしまうと身動きが取れなくなってしまう。

これはトレードにも共通すること。

 

 

 

1度、轢かれた安泰のレールを外れる身。

 

 

もう既に振り返ることなどなく、自分の人生を俺は生きていくという強い気持ちが結局、何より大事になってくると確信している。

 

 

恐怖、不安、迷いをマジマジと舐め回すように見つめる。

そして今自分がすべきと自分が自分に対して決めたことをやり抜くこと。

そうするとブルブルくる震えも真正面から受け止められる。気がする。

 

 

俺が大好きな漫画たけしの一節でこんなことがある。

 

マミーとボンチューが初めて対戦した時、マミーが誇らしげに語った言葉。

「この間、喧嘩売られてよぉ。ぶっ飛ばした後二度と立てねーよなボコボコにしてやったよ。」

 

なんとも胸糞悪い台詞である。

小学生だった俺はマミーを嫌いになりかけた。

 

 

その後、マミーとボンチューが共闘することになったある日。

マミーがかつてない強敵に怯えていて、ボンチューに対して恐くないのか?と問いかけた際にボンチューが放った言葉。

「弱音が俺の肩に手回してきやがるからよ。背負い投げでぶん投げた後、二度と立てねーよにボコボコにしてやったよ」

 

 

これなのである。

 

 

このマインドこそ、これからの俺に最も大切なことなのである。

 

 

俺の覚悟が問われて気持ちが良い。

俺が俺に試されて気持ちが良い。

 

 

 

迷わず行けよ、行けば分かるさ。

別れ

今朝、直属の上司の訃報を受けた。

 

 

2年間、本当によく面倒を見てくれた人であった。

よく怒鳴られたし、散々口答えもしたが会社員としての鑑の様な方であった。

 

しょーもねー、つまんねーと個人的には思っていたが、組織人として、会社員としての個人の在り方をよく理解して体現している方であった。

常に「個」ではなく「組織」を意識して行動していた。

いわゆる仕事の出来る上司という存在であった。

 

組織人としての在り方を教えてもらった。

今後、俺がどう生きていくはまだ定かではないが役に立つであろうことをたくさん叩き込んでもらった。

自分の見られ方ばかり気にする(ある意味日本的な会社員としては正しいとは思うが)話す価値もない下らない奴が多い職場の中で信頼できる数少ない人間であった。

その上、自分の仕事観などは決して押し付けることはなくどこまでもフラットな考えを持っている方であった。

理知的な人間ではあったが、結局最後は優しい(厳しさを含め)所が信頼できる部分であったと思っている。

 

若いんだから沢山食え、とラーメンやトンカツにやよい軒とよく連れていってもらった。

いつだか2人で車に乗っている時「もし俺が死んでも誰でも対応できるように一通りの仕事を下の奴らには覚えてもらうからね」なんて話を笑いながらしてくれた。

組織人としてどこまでも正しい。

 

 

会社から野球のチケットを貰うかどうかの話をしていた時、「たまにはガキを東京ドームにでも連れていくか」といった時の優しさに心温まりました。

この人も父親なんだなと当たり前のことに気付いた。

 

 

何より心残りがある。

会社には伝えてあるが、俺が辞めることを直接伝えてお礼を言えていないことだ。

今度の飲み会の席でちゃんと伝えようと思っていた。

悔いが残る。

 

 

「人はいつか死ぬ」だからなるべく思い残すことのないよう楽しく生きようと息巻いていたのはどこの馬鹿だったかな。

結局こうして後悔を残すこととなってしまった。

 

 

今日の今日でいきなりご冥福をお祈りしますなんて、身近な人のことに関しては中々言えないが自分的に故人を偲ぶ意味を考えて書くことにした。

俺が今、何を思っているのか残したくなった。

 

 

 

 

 

 

自分事ではあるが2年半前に鼻の手術を受けて以来、2年前からどうも鼻の構造がおかしくなってしまった。

色々と診てもらい色んな方の見解をきき、大方の原因は分かってきたのだが中々快方には向かわない。

粘膜を取りすぎたせいで、数年かからないと粘膜は再生しないかもしれないとも言われた。手立てが無ければ数年はこのままかもしれない。

調子が悪い日には呼吸がし辛くなることも多く、飛行機に乗ると航空性副鼻腔炎といって頭が痛くなるようになってしまった。ここ2年飛行機には乗れていない。

病気というわけではないのだが正常でないことは確か。

健康を損なって初めてそのありがたみが分かることを痛感している。

当然諦めることもなく日々色々試してはいるのだが中々精神的にきつくなることも多々ある。

誰にだって他人には言えない悩みがあるだろう。

他人には出来て自分には出来ないことがあるだろう。

諦めることもあるだろうし、諦めきれないこともあるだろう。

自分が出来る範囲で考えて精一杯やるしかない。

 

 

 

当たり前は簡単に当たり前でなくなる。

今生きれているとこに感謝をしようと素直に思う。

時間はあると思っていたらあっという間に無くなる。

今を生ききるしかない。